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特区対談#10

地域資源を活かした分散型の宿泊体験
古民家活用を推進する兵庫県丹波篠山市の取組

日本には古民家や古い町家などが今も多く点在しており、それらが街を形成し、一つの地域資源となっています。
こうした古い建物や街並みを、ただ保存するだけでなく地域の観光に活かすことで、
訪日外国人を含めた多くの観光客に向けた固有の文化体験の提供につなげる取組が行われています。
こうした古民家活用は、既存のホテルや旅館とは違った新たな宿泊施設として利活用されており、旅館業法の見直しを含めて動きを見せています。
今回は、特区制度を活用し古民家などを活用した分散型宿泊体験による文化観光まちづくりを推進する兵庫県丹波篠山市にて、
自治体および事業者のお話を伺いました。


【対談者プロフィール】

──本日は兵庫県丹波篠山市にある古民家の宿「集落丸山」にお集まりいただきました。ここ集落丸山から車で10分ほどの城下町にある「篠山城下町ホテルNIPPONIA」は兵庫県の国家戦略特区を活用した取組の一つですね。以前お話を伺った養父市のオンライン服薬指導も兵庫県内の取組です。兵庫県では、国家戦略特区の活用が非常に盛んな印象を受けます。

─福山氏
兵庫県では、平成25年に国家戦略特区区域法が成立する前から、既存の規制を緩和することで新たな産業を生み出せるような仕組みを国に提案していました。具体的には、IPS細胞を利用した再生医療の実験を主とした、「ひょうご神戸グローバル・ライフイノベーション特区」構想などです。神戸市の得意分野である医療関連の取組が、国家戦略特区の最初の取組と言えます。そうした働きかけもあり、平成26年には、兵庫県、大阪府、京都府全域を対象とする形で、関西圏の国家戦略特区の区域が成立しました。
この丹波篠山市内で活用している「歴史的建築物利用宿泊事業」は、医療関連の取組の次に推進された事業です。その後、兵庫県では医療や宿泊という領域のほかに、姫路城周辺の道路占有規制の緩和に関わる取組や、都市公園内に保育園を設置する取組なども推進しています。2020年度も、待機児童問題を解消するための小規模保育事業に関するメニューを活用する取組が西宮市で進んでいるところです。
兵庫県全体では、9つの特例措置を活用して12の事業に取り組んでいます。これらの取組によって様々な課題に対応し、地域の活性化につなげていくのが狙いです。


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兵庫県 企画県民部 政策調整局 広域調整課長 福山氏


──特区活用の背景として社会課題があるという意味では、丹波篠山市における古民家宿泊施設の取組の裏側にはどのような社会課題があったのでしょうか。

─伊藤氏
元々兵庫県の職員で一般社団法人ノオトの前代表(金野幸雄氏)が丹波県民局に赴任した際、丹波篠山市の景観や土地の魅力に気づいたのが活動のきっかけだったと聞いています。
丹波篠山エリアには色々な資源がありますが、その中でも古民家に注目した背景には、阪神淡路大震災の経験がありました。震災後、被災地復興の過程で歴史的な建築物が壊されていくのを目の当たりにされた方々の、「古いものが失われる前にそれらを守っていかなければならない」という課題意識が、現在の一般社団法人ノオトの活動につながっています。いま私たちがいる集落丸山は、そうした思いでノオトと集落で暮らす方々全員が参加しているNPO法人により組成されたLLP(有限責任事業組合)が手掛け、2009年からお客様を受け入れている施設です。


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今回、古民家宿泊施設「集落丸山」にて対談を行った


──なるほど。つまり、国家戦略特区の枠組みを活用する前から、歴史的建築物の活用に取り組まれていたという事ですね。今でこそ歴史的に価値のある建物を保存しようという活動は数多くありますが、古民家宿という当時は珍しい形での運用には、ご苦労もあったのではないでしょうか。

─伊藤氏
はい。実際に宿泊施設として運用しようとしたときに、様々な制約に直面しました。宿泊施設に対しては、建築基準法、旅館業法、消防法など、様々な法的な規制がかかります。これらの法律への対応を検討するなかで、普通に考えると、そういった規制の枠組みの中でなにができるのかを考えるのですが、私たちは「法律自体を変えなければならない」という発想に至りました。行政職を経験していた前任者ならではの視点だったと思います。
折しも国から特区メニューに関する募集があり、それまで検討していた歴史的建造物の活用について、多くの方々の協力をいただきながら提案したところ採択をいただきました。そこで、「篠山城下町ホテル NIPPONIA」事業の中で、そのメニューを活用させていただくことになりました。

─牧野氏
古民家を活用する際の用途は、宿泊施設以外にも飲食施設やギャラリーといった使い道がこれまで模索されてきたなかで、古民家を活用して宿泊施設にするノオトの取組は全国でも非常に珍しく、他の地域の活動にも少なからぬ影響を与えている事例だと思います。この取組を初めて耳にした時にも非常に関心を持ちましたし、その後時間を経るごとにその重要性をより強く感じているところです。
例えば、現在国としてインバウンド人口を増やしていくための取組が進められていますが、欧米豪の地域から観光客を受け入れる際に、訪日観光客にどのようなユニークな観光体験を提供できるかが課題となっています。そうした課題に対して「古民家に泊まることができる」という体験が、ひとつのユニークベニュー(特別な会場・場)として機能する可能性があると思っています。
そうした施設や滞在スタイルの重要性は、昨今のコロナ禍において海外から訪れる観光客のみならず、国内観光客の中でも高まっていると思います。これからは、旅行のスケジュールに目的地を詰め込む移動主体の観光ではなく、一週間程度かけて一つの地域にじっくり滞在するスタイルの比重が大きくなっていくと考えられます。観光スタイルの今後の変化を見越して、地域での滞在に着目した事業を展開されている点に、先見の明を感じます。

──動き続けるスタイルの旅行から「ただ、そこにいる」という価値を見出すスタイルに変わってきているということでしょうか。

─牧野氏
コロナ禍の影響もあると思うのですが、観光における移動の割合が減り、滞在時間が増えていることは観光関連のデータから見てとれます。
移動はどうしても不特定多数の人が密な環境で長時間一緒にいざるをえません。公共交通機関の利用を控え、自動車移動へのシフトが起こっているのも、移動に対する意識の一つの変化の表れだと思いますし、そもそも移動時間を減らす形で旅行しようと考える人も出てくるでしょう。

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一般社団法人ノオト 代表理事 伊藤氏


──ノオトとしては、そうした観光スタイルのシフトが将来起こるだろうことを見越して、取組を進めていらしたのでしょうか。

─伊藤氏
そうですね。特区の提案資料の中にも、これからは滞在型観光が定着してくることに言及しています。ただ、当時はそういった展望があることを言葉でいくら説明しても、理解してもらうのは難しかったです。理解いただく一つの方法として、一つずつ現場を作って実際に体験いただき、理解を促してきました。滞在いただいた方全員が、その体験をしっかり言語化できるわけではないですが、お帰り際にぽつりと「良かったよ」とおっしゃって、取組の理解者になっていただいたことは少なくありません。
また、将来そうなるだろうという確信はあっても、現実にお客さんが来るのか実態が見えない状況からのスタートだったこともあり、資金調達には苦労しました。ある程度実績が積み重なってきた今は様々な資金調達方法を選択できるようになりましたが、当初は個人保証と助成金で資金を確保しました。
ただ、助成金や補助金は運営にかかる費用に対して使わない方針でした。運営に必要な資金は、事業で稼いだ部分で確保しないと、事業を持続させていくことが難しいと考えているからです。そして、地域で事業を続けていくためには、地域にとって無理のない形で行えることをベースに据えることが大事だと考えています。


──前例のない取組ということで、県との間でも様々なコミュニケーションが必要だったのではないでしょうか。

─福山氏
国家戦略特区の活用という面も含めて、民間事業者の方から行政への要望は数多くいただいています。ご相談をいただくなかで、行政と民間が円滑に協働できるようやり取りを重ねていくわけですが、民間事業者の方々が事業を進めていく際のスピード感とのギャップを感じることは少なからずあります。一個人として、民間事業者がビジネスを進めていくためにはそれくらいのスピード感は必要だろうなと理解できる一方、行政の立場としては規制緩和による支障がないかなど慎重に検討しながら進めていくことが求められます。それら二つの観点で事業を捉えることはなかなか大変なことだと感じながら仕事をしています。
ただ、以前であれば、規制があるからできないということで検討を終えざるを得なかったものも、地域にとって必要な取組なら規制そのものも変えて、どうすればその取組がうまくいくかを考えられるようになったのは、国家戦略特区の大きなメリットだと思います。
「篠山城下町ホテルNIPPONIA」の事例でいえば、本来の規制を守ろうとすれば、宿泊施設はフロントを施設ごとに設置しなければなりませんでした。しかし、旅館業法の特例により、地域内の複数の宿泊施設に対して、フロント業務が可能な施設を一つ設置すれば事業してもよいということになりました。この規制緩和によって、丹波篠山エリア全体を一つの宿泊施設に見立てて事業を展開することができるようになりました。
先ほど、民間事業者と行政の間に立って取組を進めるのはなかなか大変とお話しましたが、地域活性化に繋がるやり取りが増えていくことはとても大事なことだと考えています。


──国家戦略特区メニューの活用を検討する際、今回のように民間事業者からの提案が起点となるのか、県が検討の起点になるのか、どちらが多いのでしょうか。

─福山氏
地域課題を解決したい民間事業者の提案から検討を始めることが多いです。県では、地域の課題を解決していく上で県や市町の制度が障壁となっている場合、兵庫県規制改革推進会議という場を設けて対応について検討しています。
例えば、旅館業法は国の法律ですが、宿泊に関する県内の制度もあります。そういった制度で、取組を進めていく際の障害になっているものがあれば、規制改革推進会議に提案いただくようにお願いしています。今後も民間事業者の方が事業を進めていく上で疑問に感じたことや、こうなればもっと良いのに、ということがあれば積極的に提案してほしいですね。

─伊藤氏
国家戦略特区の制度もそうですが、規制改革推進会議のような仕組みが兵庫県にもあるのはとてもありがたいです。民間には「制度を変える」という視点を持っていないことが多いですし、そこの部分から事業を検討できることを教えていただければ、取組内容に大きな違いが出てくることも多いのではないかと思います。前任者が「法律を変えたらいいのでは」と発言したとき、当時の私は「何を言っているんだろう、この人は」と驚いたのを今でも覚えていますが、そういった視点で事業を捉えなおすことの重要さを、この取組を通じて強く感じています。

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株式会社グッドイートカンパニー 取締役 最高戦略責任者 牧野氏。
オンライン参加で対談いただいた。


─牧野氏
私がこれまで取り扱ってきたのが「インターネット×観光」という領域のビジネスのため、サービス先行で規制が追い付いてこないことの方が多かったのですが、観光産業として取り組んでいくべき事業と制度との間にギャップがある点では通じるものがあります。
今後、滞在することそのものが旅行体験になっていくなかで、古民家がその街に残っていることは、その街にとって大きな価値になっていくと思います。私はいまグッドイートカンパニーという会社で、どうすれば街や地域に根付いた飲食店が残っていけるのかを考えています。昔ながらの旅館やレストランがなくなり、代わりにチェーン展開している飲食店やホテルが進出してきたときに、その土地に残るものはなんなのか、旅行客がその土地を訪れるだけの価値はなんなのかをよく考えます。実際、近年は事業継承や人口減少によってそうした流れを押しとどめることがますます難しくなってきています。行政として、地域としてどのように対応していくかを考えていくことが重要です。
街の歴史的な価値をどのように残していくべきかという課題に直面しているのは、都市部も地方部も同様です。例えば、東京都葛飾区柴又にあるランドマーク的な創業230年の老舗料亭があったのですが、後継者がおらず店を閉めることになったんです。その時に、地域の文化的な景観を守り活用していきたいと考えた葛飾区が、その店の土地と建物を取得したという事例があります。このように、地域における歴史的文化的な価値を認識することで、場合によっては自治体が施設を保有し利活用するということも一つの方法論としてあるのかもしれません。


──次に、国家戦略特区として採択されてからのお話をうかがっていきたいと思います。先行事例がほとんどない中で、どのように取組を進めていかれたのでしょうか。

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丹波篠山市内に展開する分散型宿泊施設「篠山城下町ホテルNIPPONIA」のフロント。
古民家を活かした風情ある佇まいが観光客の人気を博している。


─伊藤氏
先ほどもお話したとおり、前任者が県職員経験者だったこともあり、県側の状況も理解したうえで、規制を緩和するためにどうすればいいかを一緒に考えながら取り組んでいきました。その際、明確な役割分担を定めて進めるよりも、むしろ取組が進んでいく中で対応できる方が臨機応変に動くという形でした。

─福山氏
ノオト側が具体的に事業を検討していたこともあり、県側としても動きやすかったです。

─牧野氏
私自身、現在JNTO(日本政府観光局)に所属して日本のインバウンド施策を考えているのですが、都道府県や市町村と検討を重ねていく中で、国と自治体との連携が取れているところと取れていないところの差があることを実感しています。自治体間の意思疎通が取れていないと、地域全体の足並みを揃えるのは困難です。そうした意味では、伊藤さんが仰るように、関係者が一堂に会して一緒に検討して取組を進めていく形がベストだと思います。

─伊藤氏
特区の事業が始まってから6年目となり、様々な自治体の方々と仕事を進めていて感じるのは、一緒に考えて進んでいくけれども、「餅は餅屋」として参画しているプレイヤーそれぞれが、得意な領域を持ち寄って進めていくことが重要だということです。
たとえば、行政の方は「政策をつくる」ことができます。これは民間事業者には絶対にできない活動です。そういった得意な活動が参画する事業者それぞれにありますので、その強みを取組の中で発揮できる体制を組むことが重要です。そうした意味で、兵庫県の場合、福山さんがいらっしゃる広域調整課が、関係者の連絡や調整までご対応いただいており、とても心強いです。
行政はともすれば縦割りでの対応になりがちですが、ワンストップ窓口として庁内調整を引き受けてくれるチームがいてくれたおかげで、行政とのコミュニケーションにかかる負荷は減ったと思います。その分、私たちは事業の推進に力を割くことができました。


──ノオトと広域調整課との連携だけではなく、県の関係部局との調整も大変だったのではないでしょうか。また、ノオトの活動している地域の生活者の方々との調整という面ではどうでしょうか

─福山氏
兵庫県庁でいえば、旅館業法を所管しているのは生活衛生課です。また、許可を出しているのは丹波健康福祉事務所です。現在稼働している施設は建築基準法が関わるレベルの改装ではなかったので関わりはありませんでしたが、仮に大規模な改修となると建築指導課とのやり取りが発生しますし、他に国の機関が関わってくる分野もあります。
これら既存の法規制は、主として安全性を保つために決められているものが多いです。一方で、規制緩和はそこを切り崩していく性質を帯びています。これまでは、制度として「絶対にやってはいけないこと」だったものを緩和するわけですから、説明を重ねても、かならず意見は衝突します。それでも何とか間に立って調整するのが、広域調整課の役割と思っています。
ただ、先ほどもお話しましたが、こういった関係部局との調整も、国の枠組みとして国家戦略特区があるからこそ行うことができます。国家戦略特区の活用メニューが無ければ、そもそも議論する必要はなく、規制から外れていれば進めることはできない、で終わってしまうことがほとんどなのです。そういう意味では、国家戦略特区の取組の価値は、「議論する場をつくり出す」というところにあるのかもしれません。議論する場ができれば、関係部局もしっかり検討せざるを得ない状況になります。国レベルでも、内閣府が提案することで関連省庁は議論の机につくことが求められます。そこが非常に重要な機能だと思います。

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集落丸山の風景。


─伊藤氏
現場で事業を進めていく中でも、行政の担当課との衝突は何度かありました。
例えば、旅館業法で定められている玄関帳場の設置義務は、ホテルと旅館に適用されます。一方で、簡易宿所には適用されません。また当時、旅館は5室以上、ホテルは10室以上の客室を備えていることが法律で定められていました。私たちが特区メニューを使おうとすると、最低でも旅館の許可が必要になります。ですので、宿泊施設のいくつかは間取りを工夫して客室数を5室にしています。
それによって部屋数の問題はクリアしたものの、次に間取りが問題となりました。旅館の場合、旅館の定義として部屋の一つを和室にしつらえなければなりませんでした。その他、寝具は布団が必須とされたため、板張りの部屋だけで室内を構成したり、寝室にベッドを設置したりすると、旅館として認められないと指導されたこともありました。
また、古民家は良い意味で言うと風通しが良いのが特徴で、仮に火災が起こったとしても煙が屋内に充満することは考えにくいのですが、建築基準法に照らし合わせて排煙窓を設けたり、壁を難燃材にするように指導されたこともありました。
多くのお客様に滞在してもらう施設ですので、なによりも優先すべきは利用者やスタッフの人命です。そして建築基準法は災害などから人を守るためにある法律でもありますので、守るべき法律であることも理解しています。ただ、建築基準法が想定しているのは古民家のような古い建物ではなく、現代建築を基準として法体系が整備されていますので、法律の定める内容に適合するような仕様にしてしまうと、古民家としての風情が失われてしまうこともあります。そこで、安全面はしっかりと確保しながらも、元の姿を可能な限り残して活用できるよう、協議を重ねてきました。
例えば、建物の元々の雰囲気を壊さないよう配慮したうえで排煙窓を設けたり、壁については難燃材の代わりにスプリンクラーを設置したりするなどして、どうすれば既存の法制度で求められる条件をクリアできるのかを何度も検討しながら、これまで事業の実績を重ねてきました。
施設をオープンするまでにも、このようなやり取りがたくさんあったのですが、地域の未来やそこで生活する人たちのために貢献したい、という公益性に対する意識が私たちと行政との間で共有されていたからこそ、連携して動いていくことができたのではと思っています。また、平成30年には旅館業法が改正され、ホテルと旅館の区別や和室やベッド設置に関するルールもなくなり、今はだいぶ事業を進めやすくなりました。こうした法改正が行われた背景のひとつに、篠山で取り組んできた活動の成果もあるのではないかなと思っています。


──旅館とホテルの区別や、条件がそこまで詳細に決まっていたとは知りませんでした。海外から旅行に来られる方のことを考えると、旧来の制度が滞在の障壁になってしまうことも多そうですね。

─牧野氏
海外からの観光客の中には、古民家や旅館に泊まる人は少なからずいます。ただ、そうした方々は、「滞在」というよりも「体験」として宿泊しているような感覚に近く、何日も滞在するという方は多くないと思います。より中長期の滞在をしてもらおうとすれば、彼らの生活スタイルに応じた居住空間の設計が必要になってきます。加えて、海外観光客にニーズがあるのは「泊食分離」型のサービスです。日本人にとっては定番の上げ膳据え膳スタイルも、海外の観光客にとっては必ずしも求められているわけではありません。食事は旅館のなかではなく周辺の飲食店に行くなど、滞在するなかで地域を楽しみたいと考えている人が多いのが実情です。そうした対応も今後は重要になっていくと思います。

─伊藤氏
滞在して地域を楽しんでもらうためにどうすればいいか、私たちも常に考えています。例えば、集落丸山では、地域の方がこれまで守ってこられた景観や日常の生活そのものが財産です。その価値を伝えるために一番よいのは集落で生活している方々自身に伝えてもらう形だと思っています。
集落丸山に宿泊された方が翌朝召し上がる朝食は、集落で育てられたお米や野菜を使って作られていますし、夕食で市内のレストランや飲食店にお出かけになる際の送迎も、集落に住んでいる方が対応します。この机に活けてあるお花も、お花を活けるのが得意な住民の方が率先してやってくださいました。この集落で生活している方々がそれぞれに出来ることを持ち寄って、ここのサービスは成り立っています。
また、地域が一体となってサービスを提供する体制として、集落で生活する方々全員が「NPO法人集落丸山」に参加していることも大きな特徴です。村の未来につなげるための事業であることを、集落全体で共有しながら動いています。
とはいえ、最初はこの取組に手放しで賛同してくださる集落の方はほとんどおられませんでした。「こんなところに誰が来るのだろうか」という気持ちだったそうです。それを少しずつ対話を重ねながら、事業化のために必要な部分はできるだけノオトで担いながら、ここまで進んできました。

─牧野氏
地域の人が必ずしも地域の魅力を理解しているかというと、そうでもないことは結構多いですよね。外国人観光客の間で人気が出て、その後日本人も行くようになる、といった事例は多くあります。例えば京都府の伏見稲荷などがその一例です。あの鳥居がずらっと並んでいる様子が海外の観光客に話題になったことで、日本人の間でも観光地として有名になっていきました。
ポイントは、自分たちが考えたことを伝えるだけではなく、相手がどう見ているか、どこを魅力に感じているのかを観察して伝えることです。相手が魅力に感じていることをピックアップし、それにドライブをかけていく視点を持つことが、今後の観光産業にとっては大事なのではないかと思います。


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丹波篠山市内は、今も城下町の風情が残る街並みを保っており、その風景を楽しむ観光客も多い。


移住と観光が重なり合うこれからの観光のあり方

──今後の活動についてどのようなことをお考えなのでしょうか。

─伊藤氏
私たちとしては、文化財を活用するということに一つの目処がついたところで、丹波篠山エリアの魅力を十分に伝えきれているかというと、まだまだだと感じています。丹波篠山エリアの文化度の高さ、生活を楽しんでいる自覚もないままに楽しんでいる姿を、もっと多くの方にこれからもお伝えしていきたいと考えています。
生活している方々とのちょっとした会話が、観光に来た方々の心に残っていくと思います。そうした地域の人たちとの暮らしに根付く会話のなかで「私、こういう生活をしたかったのかな、こういう暮らしが楽しいと思うのかな」ということに気づく人が増えていくと、その先の「移住」という選択肢に繋がっていくかもしれません。
私自身は、「移住」と「観光」が別物だとは思ってはいません。一日「観光」すれば一日「移住」したことであり、三日「観光」すれば三日「移住」したことという見方もできると思うのです。人に会いに行く観光、予定のない観光を提供していくことが、今後はより地域に求められていくのではないかと思います。

─牧野氏
「人の大事さ」は今日のお話の中で何度も出てきていますが、その大事さは日本人にとってだけでなく、外国人にとっても大事なことです。地域を観光する理由は、究極的には「人に会いに行く」ということになっていくと思います。実際、観光に関するデータを分析していると、人との出会いに関する口コミデータが非常に多いんです。今後様々な活動のオンライン化が進んだとしても、人との接点を求めるニーズはなくならないと思います。

─福山氏
特区を担当する立場からすると、いかにうまく情報発信していくかが、特区が成立した後の私たちの役割だと考えています。いまはユーザー自らが情報発信することが多くなってきましたが、行政ならではの情報の価値もあると思っています。
これからは、規制が緩和されたという情報だけでなく、地域とのつながりを含めた運営の状況をもっと発信していけるようになればと思っています。
伊藤さんが観光と移住は別々ではないとお話されていましたが、地方分散型社会へのシフトが進んでいくなかで、観光でもなければ定住でもないような滞在時の多様な過ごし方が生まれてくるのではないでしょうか。そうした未来の生活を受け止められるよう、特区も活用しつつ地域づくりを進めていきたいと思っています。

─牧野氏
体験から滞在へという観光の変容は世界では既に顕在化していましたが、ようやく日本でもその兆候が見られてきました。そうした変化に日本が対応していくためのエッセンスが、今回の丹波篠山市の取組には凝縮されていると思います。現在の形にたどり着くまでに、ノオトさんにも兵庫県にも様々なご苦労があったと思いますが、今後はその成果を様々な地域に広げていってほしいですね。


──ありがとうございました。

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