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栗山英樹さん
スペシャルインタビュー vol.1
移住した栗山町が、新たな夢を育むふるさとになった

栗山英樹さん スペシャルインタビュー vol.1 移住した栗山町が、新たな夢を育むふるさとになった
栗山英樹さん

北海道日本ハムファイターズ チーフ・ベースボール・オフィサー
野球日本代表・侍ジャパン監督(2022‐2023)

栗山英樹 さん

リモートワークの広がりもあり、地方への移住を考える人が増えている。政府も「いいかも地方暮らし」と題して、移住者の経験談や公的な支援策など様々な情報発信に取り組んでいる。「田舎でのびのびと子どもを育てたい」「自然に囲まれた暮らしをしたい」「地域を元気にする力になりたい」など、理由は様々だが、夢を膨らませる一方で、地元にうまく溶け込めるだろうかなどと不安を覚えている人もいる。約20年前、夢だった天然芝の球場をつくった縁で北海道に移り住んだ、WBC日本代表の監督を務めた栗山英樹氏に、移住を考えている人たちへのアドバイスや、住んでみて感じた移住の魅力を聞いた。

北海道札幌市から東へ約35キロ、車で約40分の夕張郡栗山町に2002年9月、少年野球場「栗の樹ファーム」をつくった。きっかけは、同じ名前という縁で栗山町側から観光大使を打診されたこと。その時に町を訪れ、地元の人たちに漏らした「球場をつくりたい」という夢を、3年近くかけて実現した。しばらくは、球場に隣接して建てたログハウスと東京を行き来する生活を送っていたが、2012年の北海道日本ハムファイターズ監督就任を機に、本格的に軸足を栗山町に移した。

夢を実現できる場所・栗山町に出合った―「ここは僕の天国」

球場をつくりたいと思ったのは、現役引退後、スポーツキャスターをしている時だった。アメリカの映画「フィールド・オブ・ドリームス」に出てくる手作りの天然芝の球場にあこがれ、「野球文化をもっと広めたい」「子どもたちに本当の野球の面白さを知ってほしい」という思いで候補地を探している時、栗山町と出合った。
「映画の中で主人公が『ここは天国かい?』って再会した父親に聞く場面があります。父親は、『夢がかなうところが天国さ』と答えますが、僕にとって、ここが天国なんです。もし、ファームをつくっていなかったら、日本ハムの監督にと声も掛けてもらうこともなかったと思うし、WBCに出ることもなかった。いまだに野球に関わり続けていられることもなかったでしょう。ここにいると、幸せを感じます」。球場は、夢を実現させると同時に、夢を正夢に変えてくれる舞台となった。
今でこそ、グラウンドには緑の芝が広がっているが、最初は大変だった。土が粘土質で硬く、掘り返すとデコボコの岩だらけの荒れ地に見えた。これで植物が生えるのかと不安になり、試しに小麦をまいた。「そうしたら、ひげみたいな芽が出てきて、めちゃめちゃ感動しました」。芝を張るのではなく種から育てたり、傾斜地を整地したり、バックネットを作ったり。そうした作業は、町の人たちが我が事のようにして手伝ってくれた。

夢を実現できる場所・栗山町に出合った―「ここは僕の天国」

「出来上がったら終わり」ではない

グラウンドの維持管理には、かなりの手間暇がかかる。監督のころも、早起きして芝刈りや草刈り、種植え、土入れ、肥料まきなどをしてから球場に行った。監督を辞めてからのこの2年ほどは、朝から夜までずっと作業をしている。「何でも自分でやらなきゃいけない。つくる時より今の方がよっぽど手がかかる。めちゃくちゃ忙しいです」。手入れが必要なのはグラウンドだけでない。周囲には、外野フェンス代わりに植えたトウモロコシ畑や桜並木もある。昨年は、脚本家の倉本聡さんから栗の木を100本もらった。雪囲いはしたものの、雪にやられないように守るのが、結構難しいという。「ほかにも、葉っぱを虫に食べられて枯れそうになった木をどう守るか考えたり、カラスと『ここは俺のところだ。あっち行け』って、やり合ったりとか。でも、面白い場所ですよ、ここは。やることはあり過ぎるほどあるけど、それが楽しみなんです。ここがなくなったら、人生、つまらないだろうなと思います」
将来、自分1人でも管理できるようにしておかないといけないと考え、なるべく1人で作業するようにしている。ファームと野球とで忙しくしている栗山さんを見て、町の人たちが「やっておきましょうか」と声を掛けてくれることもある。あえて人に頼らずに自分でやろうと考えてはいるが、本当に困った時には「ちょっと、来て」と言えば、すぐにみんなが駆けつけてくれる。
自身の夢が町の人たちにも乗り移って、一緒に作り上げた栗の樹ファーム。「地元の人たちと酒を飲んでいる時に、自分の夢を勝手に語っていたら、みんなが真剣に聞いてくれて、『栗山さんがやるなら、手伝いますよ』って言ってくれたんです」。その後も手伝い続けてくれる町の人たちへの感謝の気持ちは、今も変わらない。

「出来上がったら終わり」ではない

夢を伝えて行動すれば、何かが起こる

球場づくりの熱は、周囲の人たちだけでなく、いつの間にか、本人も気づかないほどに広がっていた。ファームが出来て、数年後のある朝、起きてみると、グラウンドの横に階段状の観客用のベンチが置いてあった。「フィールド・オブ・ドリームス」の大事な場面で出てくるベンチそっくりに仕上げてあった。上の段に座った人が足を置く場所も作ってあって、プロの手によるものと思われた。一番上の座るところには、「あなたの夢を応援します」と英語で書かれていた。「めちゃめちゃ感動しました。多分、大型トラックで持ってきて、誰もいないうちにドンと置いていったんでしょう。いまだに誰が作ってくれたのかは分からないんです」。「行動してみると何かが起こる」「行動することに意味がある」と、その時思ったという。

夢を伝えて行動すれば、何かが起こる

夢を伝えるのはあせらなくていい

移住したら、「自然の中でのんびり暮らしたい」「時間に追われずマイペースで仕事がしたい」という人もいれば、「スポーツなど趣味を充実させたい」というもいる。移住したいと思っている人に共通するのは、とにかく「何かをしたい」という“夢”があることだ。
「でも、自分の夢をひとに伝えるって、結構、難しい作業ですよね。きっちりした人ほど、『僕はこれをしました』なんて、自分の話をことさらにしないですよね。でも、夢を伝えるチャンスは、必ずあります」。例えば、地域ごとに行う道路の溝掃除など、住民が協力して作業することがある。そんな時、「こんな理由で来ました」とか、「こんなことをやりたいと思っているんです」といったことを話す機会があるかもしれない。「一所懸命に何かをやろうとしているとか、こんなことをやろうとしているんだなというのは、何となく周りに伝わるものです。ただ、自分勝手に何かをしたり、あまり自分のことを語りすぎたりするのは良くない。そこのバランスさえ取れていれば大丈夫」。慌てる必要はない、伝えるのは少しずつで構わないのだから、と栗山さんは言う。

2023年12月11日(月)取材

PROFILE
栗山英樹さん

栗山英樹さん

創価高校、東京学芸大学からドラフト外で1984年にヤクルト入団。好守の外野手として活躍し、ゴールデン・グラブ賞も受賞。1990年に現役を引退した。スポーツキャスターや大学教授を経て、2012年から10シーズン、日本ハムの監督を務めた。大谷翔平(現エンゼルス)を二刀流のプレーヤーとして育てるなど、既成概念にとらわれない柔軟な発想で、リーグ優勝2回、日本一1回。2016年に正力松太郎賞と最優秀監督賞を受賞した。22年からは侍ジャパンの監督に就任。また、新設された日本ハムのプロフェッサーにも就任した。

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