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江戸時代の大津の町は、大津城の掘割を生かし山水と湧水で川をめぐらせ、水のネットワークを形成することにより、日常生活に生かすだけでなく文化を育んでいた。しかし、明治以降の市街地の進展により、水路は埋められ水を見えなくし、人々の水に対する身近な思いさえも無くしてきた。
一方、河川の水量は減少しているが水質は良くなっており、また蛍を川に戻そうという市民の動きも依然として強くある。当地域が持つ歴史及び文化を踏まえ、市民と行政が共になって、まちなかに「水が見える河川及び水路」の実現を目指す。
またこのことにより人々に潤いと安らぎを与え、地域コミュニティ活動の活性化、さらに中心市街地の当地域の再生にも貢献する。 |