都市再生本部
HOME 都市再生本部 会議情報 都市再生プロジェクト 民間都市開発投資の促進 全国都市再生の推進 都市再生レポート 関連情報 リンク
HOME 全国都市再生の推進 佐原市 議事録
全国都市再生の推進
全国都市再生イン佐原  議事録
開催日時:平成16年4月28日(水)14:00〜16:00
開催場所:与倉屋大土蔵(佐原市イ1730−5)
主催:都市再生本部・佐原市
 
<< 前ページ 次ページ >>
議事録:

司会(宮武参事官)
 ありがとうございました。佐原の大変先進的な取組み、また現在お悩みの点等をご提示いただきました。お一人、お一人のまちづくりの熱意・情熱が伝わってまいりました。
 それでは、個々からは、ディスカッションに入らせていただきます。
 午前中に視察したまちへのご感想、先ほどのプレゼンテーションに関するご感想を都市再生戦略チームの皆様に伺いたいと思います。
 まず、大垣先生、よろしくお願いいたします。

○都市再生戦略チーム 大垣尚司様
 佐原を発展させていこうという熱気に感銘を受けた次第です。また、すばらしい機会を与えていただきありがとうございます。
 最初にお話したいのは、今は守るというお話だと思いますが、町並みを守る、景観を守るとことは大切だと思いますが、あくまでもまちというものは入れ物でして、そこに入っていくもの、入ったものが何をするのか、どんな方がいらっしゃるのか、古くてはいけないので、新しいものになっていかなくてはならないと思います。私の出身は京都で、もともと京都では、観光のために家を町屋で置いてる人はいなく、町屋がいいから町屋で、金持ちほど町屋を維持する。最近景気が悪いので西陣の町あたりでもつぶれるところがあると町屋は別のものに変わってしまいます。そういう意味で経済に力があるからいいものを残せるのであって、残すために残していくと廃れていきます。そういう中で何を考えないといけないのか、改めて考えさせられた次第です。その中で、町並みを保存することは、当然、自由にやりたいことが規制されます。せっかくこうしたいと思っていることが、こうしたらダメ、ここは残しなさいと言われるわけでして、これは活発な経済活動に繋がるかというとむしろ逆で、そういう意味では、町並みを保存することを役所が言うからではなく、文化庁がこれはすごいと言うからではなく、町並みというものが美しく、この佐原がすばらしい古い良い町並みを維持して、一つのブランドを作っていることが、人を呼び込み、金を呼び込み、一つの暖簾を作り上げていく、町全体に一つの暖簾が出来上がっていることで、町並みを保存する経済メリットがでてきて、皆、当然にやろうとなることが私の考え方です。人が一人で仕事をしても大きなことは出来なく、何人かが集まって仕事をすると大きなことが出来る、出来る中に一つのブランドが出来上がり、人の集団ではなく、独立した、ソニーならソニー、日立なら日立という別のものが出来上がる。こういう暖簾を作る作り方に会社、信託、組織などと工夫があります。私は、一つづつの家で考えて見ますと絶対に町並みというような家の集合体を美しくすることは出来ないと思っています。まちづくりをするための法人、まちづくり法人などが必要だと思います。たとえば駅前を一つの法人に権利転換の形で、何も変わらないが、一旦お買いになることをして、駅前全体の暖簾をどのように考えていくのか、一つ事業を行っているのと同じですので、そういう風に考えて運営するようなことがあってもいいと思います。そうすると保有面積全体が200m2超えていれば一つ一つが超えていなくてもいいのではないかと、先ほどの議論につながっていくと思います。
 もう一つ、伊能忠敬の話を聞いて、この方がいたところだと思い出しましたが、老年になってから大きな事業を成し遂げた方で、私はもうひとつの専門が高齢化の話ですが、高齢者と呼ばれる人口は全人口の4割を超えていまして、これまで高齢者は少なくて弱いということで福祉の問題でしたが、少し下の年代から見ると、少なく、弱いのではなく、たくさんいて、皆さん強いという感じがします。これを福祉の観点から考えるのは違和感があります。むしろ60歳であと20年あると、一生は80年というのは0から数えてであり、60まで生きた方はそう簡単には死ねません。残った人生は余生ではなく、新しい人生であり、そう考えている方はたくさんいます。高齢者のまちづくりというのを見せていただいたことがありますが、佐原は都心から1時間半で来れる所で、どう考えても田舎ではない、成田になると首都圏になってしまい通勤圏となります。通勤圏にわざわざ高齢期に動き住む人はなく、だからといって山奥に住む人もなく、佐原は絶妙のポイントになる。
 日本人は家ばかり持っていますが、これがみんな腐っています。バブルのときに買ったので、含み損があるから売れない。売れないからしょうがないので大きな家に住んでいます。住んでいるが、子供は帰って来ないという所がたくさんあり、どうにかしたいと思っているが売ったら損をする。そういう人たちに駅前の土地を交換してあげ、死ぬまでお住みになったらどうですか、そういう方がどんどんいらっしゃったらどうせすかと。最近金融界も不景気で、会社を首になる人や私の同期も早期退職していますが、その後の就職もない。しかし、この人たちは大変ノウハウのある人たちで、こういう方が都心から1時間半のここにこられて、何か考え出す。そこに産業が出てこないんだろうかと思ったりします。
 なぜ、佐原がこんなに栄えたのか、これは水路があるからで、水路は当時の産業を動かす動脈だったからで、今は何かというと情報であり、光ファイバーのどれだけ太いものが都心に向かって敷かれているのか、お聞きしたところまだBフレッツが入ってないとのことですが、佐原は物理的には遠い所ではないが、首都圏から情報的には非常に遠い所だと感じます。かえって金融特区をはじめた沖縄のほうが近いように感じられます。もっと情報的に都心に近くならないと新しい産業は出てこないと思います。
 そんな中で人が来たらどうするのかというと、たとえば私は金融の仕事を長くしていますが、金融の世界は今全く変わろうとしていまして、金融流通業といわれるものが法改正されますが、これは大変少ない人数で大きな仕事が出来るポテンシャルを持った産業で、こういうものを呼び込むなど、いろんな可能性があり、町並みを保存することは大変だと思いますが、守りの観点をもっとお金に変えていくといった考えも必要だと思います。すばらしい場所だと思いますので、もっともっとすばらしい場所に変えていかれたらと思います。

司会(宮武参事官)
 ありがとうございました。次に、吉見先生、よろしくお願いいたします。

○都市再生戦略チーム 吉見俊哉様
 今日は、朝の天気予報を見て、必ず暑くなると確信していたので薄着で来てしまい、先ほどは震えながら船に乗り、寒いのですが非常に密度のある空間を感じています。水路と良い、町並みと良い、そして特にこの蔵はすばらしく、こういうところで会議がもてることは、日本中探してもないのではと思います。
 私も昔、演劇をしてたことがあり、その時に木造船を使って船の中を芝居小屋に改造してやっており、すばらしい空間でした。というのは伝統的な楽器など、いろいろな衣装を使ってやる芝居の場合、特に木の空間、しかもスクウェアーにカチッとなっていない空間でやるのは大変マッチしますし、ある空間の密度のようなものを感じます。それと同じような空間に私たちが今いることを感じています。これは単に珍しいということではなく、会議の中身、あるいは国際会議をやってもいいし、あらゆる可能性を持った空間だと思います。このような空間がこの街に、ここはここで特に良いし、似たようないろんな形のすばらしい遺産があるということを今日感じました。これをどう活かしていくのか、私は経済の専門家ではなく、文化とか社会で、お金になることは考えられないんですが、それでも社会的、歴史的に意味のあることをどう活かしていくのかを考える可能性がものすごくあると感じています。先ほど市の方の計画等のお話を聞いていた時の印象をお話させていただきたいと思いますが、大変いろんなことを考えられていると思いますが、同時に幾つか欠けているものがあるのではないか、もっと突き詰めて考える問題があるのではないかということを感じましたのでお話させていただきます。
 一つは、確かに歴史的な町並みの保存、伝統的な可能性、水運などいろいろお話がありましたが、市のプランは抽象的な感じがします。あるいはいろいろことが掲げられているが、どこに焦点があるのか。会議所の会頭のお話に決定打ということを申しましたが、目玉はどこか、中心はどこなのか、もっとはっきりさせた方が良いと感じました。もう少し言いますと、ある街を創っていくときに、必要なのは、いろんな要素はありますが、同時にその街に生きる、あるいはその町にやって来る、あるいはその街を発展させる人々がどういう物語を共有しようとしているのか、あるいは創ろうとしているのか、街は単に歴史的建造物群で古いから良いのではなく、歴史的建造物である以前にこの佐原の物語を背負っている。どういう物語を創ろうとしているのか。佐原の背負っている歴史物語がどういう物語なのか、もっと具体的に考えて、あるいは市のプランとか町のプランの中に、この物語を我々は創っていくんだというのがあっても良いのではと感じました。いろいろな話の中で幾つかのキーワードがあったと思います。水運あるいは運河の問題、祭り、蔵、伊能忠敬、これは全部繋がっていると思います。伊能忠敬は50歳になるまでずっとここにいたんでしょうか。それから大事業をやった、そうすると佐原が伊能忠敬を生んだ訳です。伊能忠敬を生んだということは、それだけ文化的資産、文化的創造力、これは伊能忠敬一人のものではなかったと思います。佐原の人たちに共有されていた文化的な創造力、その基盤があったからだと思います。それはなんだったのかということです。私は皆さんのお話しを聞いて感じていたのは、少し雑な言い方ですが、一言で言えば「佐原は江戸なんだ」ということを感じました。江戸としての佐原というか、これは江戸ということは、例えば、私は「江戸東京博物館」の委員もしてますが、東京都の非常に厳しい財政と厳しい行政の中で、東京の博物館、美術館は酷い状況にありますが、「江戸東京博物館」は結構人を集めていまして、成績がよく入場者数も悪くなく大変いい、これは、江戸というものがそれなりに人を呼び込む価値を持っているということに関係している。佐原は江戸であるという江戸の物語というのは、佐原は水運の話が散々ありましたけれど、江戸もまたベニス以上の水の都であったということは皆さんご存知だと思います。じゃあ佐原は江戸であって、東京の周りで、川越があるかもしれないが川越以上に佐原は資産があるのではないか。佐原ぐらい、今の東京の中で、博物館以外では、江戸の物語を語れる空間はめったにない。そうすると佐原は江戸であるとすれば、地方都市を越えて佐原が江戸になってしまえばと言うことはできないんだろうか。「江戸東京博物館」は博物館の中だけで江戸ですが、だけど町としては江戸ではあり得ません。だけど佐原は江戸になるということはできないんだろうか。そうすると江戸のいろんな要素、むしろ江戸に対するあるノスタルジーというものが、東京の中では不可能なものがここでは出来るということがあり得るのではないかと感じました。これは私の印象ですが、たとえばそういう物語をもっと明確に創っていくことが必要なのではないか。抽象的な八方美人ではなく、一転突破で明確に物語を見せるほうが、逆に可能性があるのではと思います。そのときに誰がその物語を創っていくのか、単純に言えば市民ですが、その市民は誰か、どうやって市民が物語を創っていくのか。具体的に言うと市の計画、あるいは県の計画になるのかもしれませんが、その計画に市民参加の仕組み、計画そのものに対する市民参加の仕組みが、どこまできちんとできているのか、市の計画は誰が作っているんでしょうか、市民が知恵を寄せ合いながら、議論しながら行政の計画そのもの作っていく仕組みが必要だと思うし、そのことを通して、市がやっていくことがそれぞれの具体的なキーパーソンが目の前に見えてくる、佐原に生きている面白い方の顔が見えてくるような計画であってほしいと思います。
 3つ目は、誰を相手にするのかということです。確かに成田は近いので外国人観光客は重要なポイントの一つかもしれませんが、しかし今申し上げたように江戸ということを考えると江戸の対するある思い入れとか、ノスタルジーとか一番持ち寄る層は誰なのか、あるいは、そういうものが広がりを持ち得るのはどこに戦略があるのか考えると外国人観光客も重要ではありますが、しかし、もう少し、東京のある意識というか、との関係、あるいは佐原が一つの江戸、あるいは東京、関東地域から歴史を呼び起こすようなポテンシャルをもっているとすれば、それをどういうような人々と共有するのが一番良いのかということを考えてもいいのではないかと思います。少し抽象的ですが3点ほど話をさせていただきました。

司会(宮武参事官)
 続きまして、岡本先生お願します。

 
<< 前ページ 次ページ >>
(C) Copyright : 内閣官房 都市再生本部事務局
〒100-0014 千代田区永田町1−11−39 永田町合同庁舎3階 TEL03-5510-2151