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全国都市再生の推進
全国都市再生イン佐原  議事録
開催日時:平成16年4月28日(水)14:00〜16:00
開催場所:与倉屋大土蔵(佐原市イ1730−5)
主催:都市再生本部・佐原市
 
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議事録:

○都市再生戦略チーム 岡本圭司様
 私は、都市再生本部の事務局にかつて勤務しておりまして、稚内から石垣までというプロジェクトを立ち上げた後、退官しました。OBになってからは、戦略チーム専門調査員ということでこのような機会を与えてもらっております。その第1回で佐原にお招きいただき感謝しています。
 私は、今日デジカメを忘れてしまったんですが、いつもは行った街の写真を撮るんですが、今日は現地を拝見した後、むしろ忘れて良かったと思いました。今度は観光客で来ようということと来るときはデジカメのコンパクト版ではなく一眼レフで三脚を持って来ようと思いました。しっかりした佐原の風景を時間かけて撮りたいと思いました。
 景観10年、風景100年、風土1000年と京都の人は言いますが、佐原は100年以上かけて出来た風景を持ち、100年あるいは500年育ってきた風土に支えられた土地柄だと感じます。私が現場レベルで街のことを考えたのは、鹿児島県庁の課長時代に、知覧町の伝建地区、武家屋敷で有名ですが、知覧には、武家屋敷の外に「特攻平和記念館」があり、ここには、特攻関係の資料を見せるところですが、ここを案内するとほとんどの方が目頭を熱くして、中には涙を流される方もいます。武家屋敷群という歴史的町並みで一つ感動し、特攻平和記念館で新たな感動をするという二眼レフを持っている。そういう眼で拝見すると佐原を更に飛躍させるには、町並みの景観を保存し活性化させるのは当然です。TMOの計画等にほとんど描かれていると思います。後は実行あるのみだと思います。もう一つの魅力をどこで創るのか。本宿地区での土地利用なり、新しい内水面利用型のレジャー、イベントなどもう一つの目玉を作っていく、その相乗効果をどうやって作り出すかが、これからの課題だと思います。
 今日は、駅前からこちらに来ましたが、駅の周辺の街、小野川周辺の街を拝見し、江戸から明治の人たちが考えた街づくりと昭和になってから考えた街づくり、都市計画法があって作った街づくりの落差を感じました。都市計画の通達行政に合わせて作った街づくりはダメだと感じました。そう考えると先ほどお話のあった準防火地域の件も原点に戻って考えればいいのではと思います。地域の消防力、地域の皆さんの消防とか防火活動のネットワークがどれだけあるのかを考えて、防火上の建築規制のレベルをどうするか考えても良いのではと思います。都市計画も自治事務になっていますので、市なり県のほうで原点に戻った再検討をすればいいのではと感じました。現に京都市では、準防火地域の指定を解除して別の形での制限をしていると聞いたので、いろいろな方法で検討すればいいと思います。
 レポートを拝見すると、町並みの保存運動が本格化したのが、竹下内閣のふるさと創生の一億円事業で、それまでにも長い町並み保存の運動はあったと思いますが本格化し、小泉内閣の「全国都市再生」で更なる飛躍ができますよう期待申し上げます。

司会(宮武参事官)
 次に伊藤座長と思いましたが予定の4時になっていますが、大変熱心なプレゼンテーションがまさにこれから有意義なディスカッション生むときに、きるのも忍びないので時間の許す限り延長させていただきます。予定ではここで国の関係者からご発言いただこうと思いましたが、もう少しいろいろな話を聞いて煮詰まった段階で決意表明を含めてご発言の機会を持たせていただきと思いますので、もう少し地元の方、せっかくの機会ですので追加でご発言をと思いますが、発言時間は手短にお願いします。

○(株)ぶれ きめら代表取締役社長 木内志郎様
 本日は、「全国都市再生イン佐原」第1回目にご臨席賜りありがとうございます。我々佐原市民としましても大変心強く、これからのまちづくりに励みになります。
 今までいろいろお話を聞いていましたが、私が知っている以上のことがお話されていまして、言うことはないのですが、私は佐原には今から50年前にいまして、十数年前に佐原に帰ってきまして、浦島太郎でございますが、我々が高校を卒業して出た時には、非常に栄えていた街でしたが、帰ってきたときにはシャッターの街でした。本当に浦島太郎でした。私の関係上東京よりは佐原がいいと帰ってきたわけですが、東京にいると海運会社をしているので全日本海運組合という恐ろしい組合がありまして、佐原にいると逃げられるということで佐原に来ました。佐原の皆さんと生活できるようになりましたが、浦島太郎の物語とは少し違いまして、戻って来た佐原には高校時代には気がつかなかった宝があちこちに眠っている、こういう宝を掘り起こしていけば佐原は元通りになるのではないかということが基本にありまして皆さんの推薦をいただきました。本来佐原に居ないのでどうかと思いましたが、熱意に昔の佐原を取り戻そうとやっています。
 佐原は、江戸だというキャッチフレーズを作ってしまう。佐原は江戸だ、江戸は佐原だと、そういう物語ができればすばらしいと思います。とにかく市民が、一致団結しないと、いくら特定の人が頑張っても街の発展はないと思います。町の発展は、街全員が同じ方向に向かっていけるよう出来ればすばらしいと思います。その方向付けのステップにきめらがなればと思います。これからも頑張っていきますのでご指導、ご鞭撻よろしくお願いします。

○三菱館運営委員長 越川悦子様
 私は、小野川と佐原の町並みを考える会に入っています。この中には組織がありまして、まちづくり委員会、広報委員会とかいろいろあります。その中で三菱館の運営委員、女性を大事にしてくれまして、というよりも今、佐原の女性はまちづくりに燃えていますので、委員長に私をしていただいたと思います。
 私は、佐原生まれの佐原っ子で、佐原が大好きです。是非、この佐原をみんなに知ってもらいたい、私があんまり大きい事を言うのでみんな驚いていますが、ドイツに行ってローデンブルグがあんなに小さいのに地球儀の中でピカッと光っているのは、あれほど自分たちの土地を誇りに思って町の人がやっていること。それが私は、元教員で、辞めたら佐原のために何かやりたいと思っていました。その時この会があり、入らせてもらいましたら、いろいろな仕事をさせていただいています。これはみんなボランティアです。驚いたことには、辞めたらすぐお金がなかったんですが、この会はお金を払ってボランティアやるんだよと言われまして、年間1万2千円の会費を払っています。この会は50名くらい会員がいますが、全員1万2千円払ってボランティアをやっています。その会費でお客さんにお茶を出したりしています。この三菱館は、吉田会長をはじめ町並み案内をしていますが、年々多くなってきています。いろいろな部門をやってますが、ここは市民のボランティアの拠点となっています。そして、観光客が佐原に来てよかったと言ってくれるとうれしいです。どの方も小野川と柳を見ると癒されると言ってくれます。私はお願いがあります。こんな良い街をどうして今まで宣伝しなかったのと言われます。今日カメラのある人には、今度機会があったら是非報道してほしいと思います。佐原がテレビなどで放送されると翌日には、大勢三菱館にお客さんが来ます。三菱館に来る人は最初銀行だと思い、分からないんです。それだけ川沿いにお客さんがどっと来ます。全国に指定されたところはたくさんあると思いますが、順番でもいいので報道されると、日本も見直されているのでいいのではと思います。
 今、女性の力と良いましたが、佐原ではまた来たい佐原にしたい、男とか女とか問題ではないが、土産品とか、あるいは先ほど加瀬代表が石尊山(せきそんやま)に桜を植えたいと言っていましたが、佐原にはあやめ祭りがあります。あやめが終わってフジが終わると誰も行かなくなるので、女性の団体が道路沿いに桜の木を植えました。そういうことをするのは大変ですが、これからある女性の団体は、ふるさとの味を作ってみたいとか、そういうのもあります。もう一つは、一番観光客が困るのは、車が激しいということで、どこか迂回路のようなものが出来ないかと願っています。

司会(宮武参事官)
 外の女性の方にも聞きたいのですが、申し訳ありませんが後で時間がありましたらということで、先ほどお話しがありました大祭の関係で菅井さんにお願いしたいと思います。

○まちおこし佐原の大祭振興協会理事長 菅井源太郎様
 後ろにあるのが佐原の山車で、山車というのは、佐原が江戸まさりという言われ方をしている、というか言い方をしている、それほど昔は、江戸よりもいいものを作るという意識が、我々は、お祭りを振り返ってみるとひしひしと感じてきます。まず、人形を見ていただきたいんですが、生人形(でくにんぎょう)といいますが、佐原にしかない人形です。実は、今日、江面さんいらっしゃいますが、文化庁へどうしたらいいのかとお尋ねしたときに文化庁の修復の部長さんでした宮家禄先生が、こんなものが今日本にあるのかということで、この顔の塗りが、今日あるのはレプリカかもしれませんが、今日本にもうこの技術はないんだよと。おそらく佐原が隆盛の時に、どんどん大きな江戸に無いものを作るということで佐原の人たちがお金を出して、江戸の人形師に技術開発をさせて作ったんだろう。という話をしまして、とんでもないものをおもちゃにしているねと大事にしてくださいよと言われました。学者の皆さんに言われて初めてわかるんです。
 佐原の物、インフラなんかも後で学者の方に聞くとものすごくお金がかかっている、これは大事にしなくてはいけないと、いろんなものがあります。山車で言えば彫刻も江戸彫刻で、佐原にある山車の彫刻は、彫刻師が佐原に自分たちの技術が山車にあるんだということを江戸の今の彫刻師が随分佐原に来ています。特に佐原囃子なんですが、本当に和楽器のオーケストラで、普通の祭りだとピーヒャラドンドンということで笛や太鼓なんですが、ここは大鼓、小鼓が入って、楽員の皆さんが掛け声を掛けながら、それも一つの音楽になって佐原囃子ができています。佐原囃子というのは言ってみれば和楽器オーケストラの交響曲シンフォニーであります。まちの目抜き通りではシンフォニーをやるんですが、オーケストラですから何でも出来ます。裏の方へ行きますと民謡とか日本の当時の流行歌とか、場合によっては小学生も卑猥な歌を訳もわからず歌っていると、裏に入るとそういう音楽もやります。非常にメリハリがある、先ほど伊能忠敬を育てた町というお話がありましたがまさしくそのとおりで、伊能忠敬は日本の地図を作りたくて江戸に出たのではなく、天文学を勉強したくて行ったと、佐原に江戸と当時の先人たちは江戸との付き合いがたくさんあり、文化的に水準が高い。すぐに高橋至時という当時の天文方の所へコンタクトをつけて行く、それが回りまわって、日本の地図を当時、あれ程正確なものを作ったと、それは正しく佐原の当時の文化の高さということで、ただ江戸の真似をする以上に、何とか江戸以上のものをものによっては作ってみたり、それが佐原のお祭りそのものだった。ここの蔵も見ていただければわかると思いますが、蔵は大体四角いんですが、ここは全くわけのわからない格好で、道路の格好そのものを取ってみたり、蔵があったらそれを避けて作ってとか、梁組みも見てみますと上の梁組みそのものは在来工法の何段重ねという梁で、それも斜めに通ってまして下を下屋の様な形で、ここは醤油蔵だったんですが、醤油工場として使い易いよう直している。正しくこれは棟梁の知恵というよりは旦那の知恵だと思います。いろんなところに佐原は工夫した後が見られる。お祭りの山車の運行の仕方も非常に工夫がありまして、よそのお祭りでは絶対見られないような引き回しの仕方をします。そういうことが今になってよくよく見ると佐原にはたくさんある。先ほど乗っていただいた小野川の護岸にしても、今、石屋さんが崩した時に、見地石を見ると、もの凄く手間が掛かってますねと、こういう見地石で見地の石の削り方は他では見られないよと専門家が言う、先ほど江戸が佐原にあると正しくその通りで、江戸の良いものを取り入れてきて使っている。私たちはお祭りを通してできるだけそういうものを見ていただきたいと思います。ですがなかなかそこまで地元の人間がわかっていない。そういうことで非常にいらだっていまして、先ほども出ましたが、この2月にやっとの思いといいますか、佐原のお祭りが国の重要無形民俗文化財に指定された。こうなれば先生方がいろんな細かいことを書いていただけるのかなと、そうしますと江戸がまさしく佐原にあるということになります。もうひとつ佐原のプロモーションができやすくなるのかなと思います。15年ほど前から国指定にということで運動していましたが、これが実ったことでひとつのプロモーション、これから大いに発信出来るのかなということがあります。今まだまだ、そういうこともう一変いろんなことをやる中の一つに先人が残したものをもう一変、何のためにこれをやったんだろう、どういう意思でこれをやったんだろうと今見返しているところですが、その次にこれをどういう風に発信し、佐原に人に来ていただくか、こういう機会に皆さんにご指導いただきながら、先ほどかなりヒントをいただいたような気がしますが、少し程度の高いところで教えていただけたらありがたいと思います。佐原の物語性ということを言っておられましたが、そういうものはそういう形で佐原のストーリーを創るとすればかなり高度なもので作れるのではないかと思います。ただ、一般の人たちにそれをご説明するのは、たとえば観光客の方がお見えになりますが、細かい話をしても、佐原囃子の説明をしても難しいと思います。ただオンリーワンということで佐原は、行ってみるとなかなか奥行きが深いねというお客さんに来ていただいただけでも違った意味での佐原のポイントになるのではないかなと、お祭りを通して感じています。

 
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