"山椒"のポテンシャルに賭けたUターン
新田 清信さん
新田 清信さん
和歌山県出身。2011年に東京都から和歌山県海南市に移住。
- 移住時の年代:30代
- 家族構成:妻
- 移住スタイル:Uターン
- 職業:山椒農家
「いずれは故郷に…」、親戚に勧められた山椒農家の道
和歌山県は山椒の生産額全国一位。中でも有田川町は、ぶどうのように実る「ぶどう山椒」の生産が盛んな町だ。結婚を機に東京から帰郷し、地元で山椒農園を営んでいる。
「25歳のころ、山椒農家をしている親戚から、『山椒は割と収入が良い』と聞き、町内に1ヘクタールの土地を購入しました。ただ、まだそのときは本格的に山椒農家になろうと思ったわけではありません。山林なので土地代はそれほど高くなかったんです。将来の選択肢の一つとして考えてみようと思い、苗木を植えました。山椒は苗木を植えてから収穫できるまで5年かかります。家族に手伝ってもらいながら、時々帰郷しては畑に手を入れていました」
地元で生まれ育ち、友人が上京するのを機に、「都会へ行ってみたい」と一緒に上京。派遣会社などで働いてきた。だが、「子育てや老後のことなどを思うと、ずっと東京に住むことは考えられない」と、頭の片隅には常に故郷があった。
妻の文映さんは、初めは田舎暮らしに乗り気ではなかったという。だが、出会ったころから「いずれ故郷に戻る」と話していたこともあり、結婚して一緒に和歌山へ移ることになった。
暮らす場所は仕事やライフスタイルに合わせて検討
生活のことも考え、山椒農園のある有田川町ではなく、和歌山市に隣接し比較的便利な海南市に居を構えた。「有田川町清水は山間部で、近くのコンビニまで車で40分もかかり、妻の働き口もありません。東京からいきなりこの田舎は難しいだろうと思い、日常の買い物に便利で、病院もすぐ近くにある海南市に住みました」
海南市から畑まで車で片道50分かけて通っている。最近ではオリジナルの加工品も製造販売するようになり、仕事も忙しくなった。そして長女が小学校に入学する2022年の4月からは有田川町内で暮らす予定だ。
「娘が入学予定の小学校は新入生7人。全校生徒60人ほどで、校長先生が全生徒を把握しています。私も同じ学校に通っていたので、子どもたちもこういう小学校でのびのびと育ってもらいたいと思いました」
山椒農園はスタートから順風満帆というわけではなかった。当初は山椒の価格が下がったことから、就農前の見通しとは違って生活の目処が立ちにくかった。そこで、収穫してJAに出荷するだけでなく、自分で新たな販路も開拓しようと考えた。オリジナルブランドで実山椒、乾山椒、希少価値の高い花山椒などの加工販売を始め、インターネットでの販売にも力を入れている。
また、かつては養蚕業が盛んだったため、周囲には桑の木がそのまま残っていた。「収穫時期が山椒とは重ならないことから、これを利用しない手はないと思い、葉を加工して『桑の葉茶』として売り出しています」
地元の山椒産業を発展させたい
山椒の生産額日本一を誇る和歌山県の地場産業だが、課題も多い。最も深刻なのが後継者不足だ。農家の平均年齢は80歳。産業として維持できるのか、正念場を迎えている。
「米や麦で生計を立てるには、大型農機具が必要で時には数千万円も必要になりますが、山椒は初期投資があまりかかりません。それにモモやブドウなどのフルーツではより糖度を高めるための技術が必要ですが、山椒はそういった技術は必要ありません。農業に縁のない人にも参入しやすい産業だと思います。山椒はまだまだいろんな可能性があるスパイスです。もっと需要を増やし、新たに参入する人が出てくれるよう頑張っていきたいと思っています」
(2021年10月21日取材)
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