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寺山修司のふるさとで夢の実現を目指す

広瀬 有紀さん

PROFILE
広瀬 有紀さん

広瀬 有紀さん

東京都出身。2015年3月に東京都から青森県三沢市に移住。

  • 移住時の年代:20代
  • 家族構成:単身
  • 移住スタイル:Iターン
  • 職業:学芸員

予感に導かれ学芸員として移住

青森県三沢市の中心街から車で約15分、冬はワカサギ釣りが楽しめる小川原湖から歩いてすぐの寺山修司記念館に学芸員として勤めている。館の運営を同市から受託している会社に就職すると同時に、2015年3月に移住した。「東京の美術画廊で働き始めたのですが、苦労して取得した学芸員の資格を生かした仕事に就きたいとずっと思っていました。そんな時、かねて知り合いの運営会社の社長にタイミングよく誘われ、大好きだった寺山修司の作品に関われるこの仕事に就くことになりました」と経緯を話す。

青森県三沢市の綺麗な夕焼け

東京都の出身。東京の大学時代、「地方に出掛けてみると、行く先々に、それぞれの土地のよさがある」と思ったという。「どの土地に行っても、ここでも自分は暮らしていけるな、という思いはありました。一方で、いつか実家を離れて、地方で暮らすようになるのでは、という予感のようなものもありました。ですから、青森 に移住することについても、ごく自然の流れのように感じました」

「おいしい魚」が移住を後押し

もちろん地方の移住にともなうリスクも事前に検討した。その土地で暮らすことをつらいと感じたときに、なにか支えになるものが三沢にあるかを考えたそうだ。

 「小さいころに、お子様ランチではなくて、『アユが食べたい』と父にねだったくらいの大の魚好きなのです。青森には就職する前にも観光で来たり、寺山関係の企画のお手伝いで訪れたことがあり、魚がおいしいことは知っていました。それが移住を後押ししてくれました。実際に住んでみて、改めてそのおいしさに驚いています。サバはもともと有名ですが、ヒラメも格別です。おすし屋さんは、東京の半分ぐらいの値段ですむので、ありがたいですよね」

広瀬さんと焼き魚

三沢市が地方創生の一環として、寺山修司記念館をはじめとした地元の観光資源を複合的にからめたイベントを積極的に推進していることもあり、館以外の関係者と協働することも多く、プライベートで食事を楽しんだりすることもあるという。

「交友関係においては、仕事とプライベートの境目がないような感じですね。私自身、結婚について具体的に考えている段階ではないのですが、よく言われるように、『地方だから出会いの場がない』という感じはありませんね。幼稚園からずっと一緒という人がいるなかで、むしろ他所からの移住者は、地元の人にとっては新鮮な存在で、好意的に受け止めてもらえることが多いのではないでしょうか」

「青森にしかないもの」に魅力

移住する前は、「東京にはあらゆるものがそろっている」と思っていたそうだ。移住してみて、その考えは一変した。

「ここに移り住んでみて感じたのは、東京にすべてがそろっていたわけではないということです。自然にしろ、食にしろ、人間関係にしろ、青森にしかないものがある。そこから生まれる文化に魅力を感じています。東京にいる間は、通勤電車の混雑に苦痛を感じていたのですが、いまはマイカーなので、通勤の際のストレスはありません。三沢空港を使えば東京まですぐで、興味のある展覧会を見に行くことができる。そんないまの生活にとても満足しています」

インタビューに答える広瀬さん

青森県出身の寺山修司とは、大学の講義で寺山作のラジオドラマを論じたのが最初の出会いで、人生感が変わるほどの衝撃を受けたという。運命に導かれるように彼の作品の研究と業績を広める仕事に携わることになった、いまの目標は、「泥臭い、人間としての寺山修司を全国の人に伝えること」だそうだ。「それは、青森に住んで、同じ空気を吸った人でないと説得力が乏しく、実現できないことだと思うのです」。自らの目標をかなえるために、これからも三沢に住み続ける決意だという。

寺山修司記念館外観

(2020年10月12日取材)

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