築150年の古民家で、地域貢献と人間らしい生活に喜び
岩永 淳志さん

岩永 淳志さん
大阪府出身。2023年12月に東京都武蔵野市から和歌山県美浜町に移住。
- 移住時の年代:20代
- 家族構成:独身
- 移住スタイル:Iターン
- 職業:個人事業主
アニメの聖地巡りで出会った町の暮らしを体験
京都アニメーション制作のアニメが大好きだという岩永さん。中でも知る人ぞ知る名作の一つに「AIR」という作品がある。その舞台を訪ねて、和歌山県美浜町を訪れた。大学2年の夏だった。
周りには海外留学する人が何人かいて、岩永さんも留学しようかと思っていたという。だが、そんな中で自分らしさがどこにあるのか、考えてみた。岩永さんは大阪生まれだが、幼いころに東京都武蔵野市に引っ越し、それからずっと同市で育った。都心に近い場所での暮らしが当たり前と思っていたが、ふと、地方の視点で世の中を見てみたい、と思うようになった。
アニメ聖地巡りで訪れた美浜町は、カナダに移住した日系人の出身地の一つだった。高校卒業のときに学校図書館の司書から『日系カナダ移民排斥史』という本を紹介されたことがある。美浜町を訪れて、その本の初めの方に三尾村(現・美浜町三尾地区)からカナダに渡った漁師について描かれていたことを思いだして、不思議な縁を感じた。「そうだ、この町に住んでみよう」。思いきって、2019年8月から大学を1年間休学して移り住んだ。
「ちょうど『地方創生』という言葉が盛んに言われるようになっていました。美浜町のゲストハウス『ダイヤモンドヘッド』のマスターと出会うなど、ご縁とタイミングに恵まれ、そのゲストハウスに居候させてもらうことになりました」。ゲストハウスの仕事を手伝いながら、老若男女さまざまな人から美浜町の暮らしなどについて話を聞いて回ったという。
田んぼサッカー 泥まみれで地域の人と交流
「ただ話を聞くだけでは、なかなか受け入れてもらえません。この地域で自分に何かできることはないか、と考えていました。そんなときに、地域のサッカークラブの人たちから、農家と交流して何か手伝いたいという話を聞いて、高齢化などで耕作放棄された水田が増えていることと結びつきました」。「それでは耕作放棄された水田で子供たちとサッカーしてみてはどうだろう」と提案してみた。泥まみれになりながら、サッカーボールを夢中で追いかける。地域の子供たちもたくさん集まり、「すごく楽しかった」と喜んでくれた。そればかりでなく、農家などの地域の人たちからも「にぎやかになって地域が盛り上がった」と好評だった。「反響が大きかったので、この『田んぼサッカー』は、その後私が本格的に移住してからも開催するようになりました。今年(2024年)は1年で4回もやったんですよ」

カナダ移民の文化と歴史を学ぶ
多くのカナダ移民が出た美浜町三尾地区には「カナダミュージアム」という、カナダ移民に関する博物館がある。カナダ移民の本を読むなどして興味を持っていた岩永さんは、三尾からカナダに渡った村民の一人、中津フデさんについて、実際にどんな生涯を送ったのか、親類や知人たちから話を聞くなどして調べ、その生涯を紹介することを博物館に提案。2020年9月に企画展「中津フデ展」を博物館で開催した。その後東京に戻ってからもたびたび美浜町を訪問して別の移民についても調べ、2022年9月には「村尾敏夫展」も開いた。
「東京では、隣に誰が住んでいるのかもわからない生活でしたが、美浜町ではみんな知り合い。特に20代の人は集落でほんの数人です。僕のことも、『田んぼでサッカーやってる兄ちゃんだ』と良く知られています。そうした狭い人間関係が煩わしいと思う人もいるでしょうが、それだけ一人ひとりの存在感の大きさを感じます。人のつながりが増えていくと、活動の幅も広がるようになりました」と話す。
1年後、復学して東京に戻り、大学院進学を決めた。大学では経済学部だったが、美浜町で農村の暮らしにふれたことから、農村や漁村の歴史や文化についてもっと考察したいと思うようになり、大学院では、農学生命科学研究科に進んだ。
築150年の古民家購入 宿にしようと自ら改修
そのうちに築150年の古民家が売りに出ていることを町の人から聞いた。1年間の美浜町での暮らしは充実したものだったし、東京に戻ってからもたびたび美浜町を再訪していた。「いっそのこと、本格的に移住してみるのも良いかな」と、その家を購入。2023年に生活拠点として本格的に移住した。現在は、カナダミュージアムを運営するNPO法人「日ノ岬・アメリカ村」の理事を務めながら、隣の御坊市にある和歌山工業高等専門学校の技術補佐員としても働いている。

「購入した古民家は300㎡もあって、一人暮らしには広すぎます。どうせなら、この広さを活かして宿を開いてみようかと、自分の手で改修を進めています。ここはいわゆる観光地ではありませんが、世界遺産熊野古道へ行く途中にあるため、立ち寄る人もいます。また、カナダに移住した日系人の子孫が、祖父母らの故郷を訪ねてくることもありますから、それなりの需要はあるのではないかと考えています。今はNPO法人と工業高専の二足のわらじですが、宿を開業し、三足、四足と活動の幅を広げて行けたらと思っています」

住んでいる美浜町三尾地区に医療施設はないが、近くに国立病院機構和歌山病院があり、車に乗れば10分ほどで行ける。「東京で暮らしていたころは大変とは思っていませんでしたが、ここは車が渋滞することもなく、まして満員電車なんかありません。車さえあれば、コンビニもカフェもすぐ近く。車で約15分の御坊市では、たいていの物が手に入ります。自然が豊かでイノシシやアナグマ、ハクビシン、鹿なども時折見かけます。学生のころは不規則な暮らしでしたが、こちらでは、日が昇ったら明るくなって自然に目がさめます。ちょっとした家庭菜園で野菜を作ったり、近所の人からいただいた魚をさばいたり。東京よりもよっぽど人間らしくて暮らしやすい。とても満足しています」と笑った。

古民家の改修は、宿泊施設開業だけが目的ではない。「ここは、自然は豊かなのですが、開発されていないため、10代、20代の若い人が滞在できる場所がありません。観光客だけでなく、ゆくゆくは、関西地域に住む中高生や大学生たちが気軽に遊びに来てもらえるようなシェアハウス的な場所を作りたい。また、地域や個人に合わせた教育は、人口が少ない地域ではなかなか難しいところがあります。いずれは、この古民家をベースにして、地域の教育の面で私にできることはないか、トライしていきたいと思っています」
地域の暮らしになじむとともに、その地域特有の課題も見えてきた。さらに次の目標に向かってはばたこうとしている。
(2024年11月5日取材)
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