飛び込んだ養殖業がきっかけ、移住を決意
三浦 尚子さん
三浦 尚子さん
神奈川県出身。2014年5月に神奈川県から岩手県陸前高田市に移住。
- 移住時の年代:20代
- 家族構成:独身
- 移住スタイル:Iターン
- 職業:養殖業
アルバイトで初めての養殖業にチャレンジ
「もともと都会のような人が多くてごみごみしたところは得意ではないので、陸前高田のような自然豊かなところだと、とても心が落ち着きます。自然の風景は、毎日変わるんですよね。その移り変わりを見ているだけで、ここに住んでよかったと思います」
2014年5月、実家のある神奈川県相模原市から岩手県陸前高田市に移住した。初めて陸前高田を訪れたのはその前年の大学4年生の時で、ゼミ活動の一環だった。その後、ゼミで交流のあった地元の方がワカメの収穫のアルバイトを募集しているという話を聞き、大学を卒業後、再訪した。
「メンタル面で少し落ち込んでいる時期でもありました。少し環境を変えてみたいと思っていたタイミングで、アルバイト募集の話を聞きました。まったく考えたことがない仕事だったので、『やってみようかな』と思ったんです」
「仕事場」となった広田湾は、南に向いて開いていることから太平洋からの影響が少なく、普段から波が穏やかでワカメや牡蠣の養殖業が盛んだ。
「初めて船に乗って海の仕事に出た時、見る物すべてが衝撃的で新鮮でした。養殖したワカメを引き上げる作業の手伝いをしたのですが、『こういう作業をするんだ』とか『生のワカメは緑色ではなくて茶色なんだ』とか、とにかくキョロキョロして驚いていました。そうしているうちに朝陽が昇ってくるんですよね。それがとてもきれいで、感動しました」
帰りの新幹線で移住のスイッチ
その時は1か月滞在しいったん相模原市に戻ったのだが、その帰りの新幹線の車中で移住スイッチが入った。
「陸前高田にいた1か月のことを、新幹線に乗っている間いろいろと思い返していました。地元の人とお話した内容とか、接してくれた態度とか。たとえば、滞在していた場所のお風呂が遠い場所にあって困っていたら、『うちのお風呂使っていいよ』とか、都会に暮らしている時にはありえないような気遣いをしてくれました。親戚の子どものように接してくれる。それが特別なことではなくて、当たり前だと思っていることが、すごいなと思ったんです。すごく寂しい気持ちが募ってきて、それに、海から離れるのもすごく寂しく感じて。すぐに陸前高田に戻って、『もう一度、働かせてください』と頼み込んで、結果、移住することになりました」
養殖業も生活も、今や現地に溶け込む
移住から8年、船舶免許の取得に続き、2020年秋には漁協の正組合員として自前の養殖施設を設置するなど、地元に根を下ろしている。昨年の春、初めて自分の養殖施設でワカメを収穫したが、思ってたよりかはよい出来でほっとしたという。
「今から考えるとありえないことなのですが、自動車の運転免許を持たずに移住してきたのです。都会だと2、3分歩けばコンビニに行けるけど、こちらだと車がないとどこにも行けません。免許取得までの半年間は、周りの人のお世話になってばかりでしたね。今でもお世話になっていることには変わりなくて、たとえば野菜などをお裾分けしてもらったりしています。学生の頃のようにライブに行ったり、友だちと飲みに行ったりすることがこちらでほぼなくなったので、移住したばかりの頃は少し寂しく感じていましたが、すぐに慣れました。自炊なので、それほど生活費もかかりませんね」
陸前高田市が移住促進に力を入れていることから、ここ3、4年の間に、若い移住者の人たちとの付き合いが増え、交友関係が広がったそうだ。
「最初は、漁業という第一次産業の仕事なので、同年代の人と知り合うきっかけがなかったのですが、一度観光関係の集まりに参加する機会があり、そこで知り合った方をきっかけに付き合いが広がりました」
趣味の写真撮影を生かし、地元に恩返しを
趣味は写真で、地元の景色に加え、漁業の仕事の様子を撮ってSNSで発信している。
「漁業のこと、第一次産業のことをもっと知ってもらいたくて、SNSで発信をしています。担い手が少ないのは、どういう仕事か知る機会がないからだと思うからです。担い手が増えて、その人たちが始めた仕事を持続できるように、さまざまな業種の方とチームを組んで協力していけるといいのかなと感じています。とにかく周りの人の優しさに支えられ、生かされているということを強く感じていて、感謝の気持ちでいっぱいです。そうした活動を通して、陸前高田に恩返ししたいと思っています」
(2021年12月24日取材)
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