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LIFE STYLE移住者の暮らし

副業で出来た地元とのつながりが、移住のきっかけに

穂積 真人さん

PROFILE
穂積 真人さん

穂積 真人さん

福島県福島市出身。2021年に神奈川県川崎市から福島県福島市に移住。

  • 移住時の年代:30代
  • 家族構成:妻
  • 移住スタイル:Uターン
  • 職業:会社員

いつかは、生まれ育った地域に貢献したい

「漠然と地元に戻りたいなとずっと思っていました。妻は秋田県出身で、私は福島県出身。夫婦ともに約10年首都圏の企業で働いていたんですけど、いつかは生まれ育った地元に戻りたいね、と話していました」
穂積さんは、東京都内の広告代理店勤務を経て、現在は都内に本社があるIT関連企業でブランディング・マーケティングの仕事をしている。コロナ禍で夫婦そろって在宅ワーク。家で過ごす時間が多くなったことで、夫婦で話す時間が増えた。将来のことをいろいろと話し合った結果、フルリモートで働けることもあり、穂積さんの地元である福島県福島市にUターンすることに決めた。住まいは穂積さんの両親の家にも近く、空き家になっていた祖父母の家に住むことにした。
「東日本大震災があった時、私は大学3年生でした。それまで、福島のことや自分の将来のことをあまり考えられなくて、地元で就職するか東京に出るか悩んでいましたが、震災があって、地元に少しでも貢献できればいいな…、自分が本当は何をやりたいんだろう…と考えるようになったんです。一度はバリバリ仕事をしようと東京の企業に就職しましたが、いつかのタイミングで福島に戻って、地元に貢献したいという気持ちはありましたね」

作業中の穂積さん

福島に関わるうちに、自分自身が移住を

Uターンのもう1つのきっかけは、副業で福島県の事業を手掛けたこと。福島県では、首都圏の人材に、県内の企業で活躍してもらうための取組を行っており、それに応募した。
「業務は、首都圏から福島県への移住者を増やす広報・マーケティング施策でした。もともと福島県は、今ほど移住が注目されていない時期から移住施策に注力していましたが、そのお手伝いですね。いつか地元に関わりたいと思っていたので、会社に説明して東京で本業をやりながら、副業をリモートですることを認めてもらいました。そうして福島県に関わるうちに、自分が移住してしまったということですね」

庭

培ったスキルを地元に還元

人であふれかえっている首都圏から14年ぶりに福島に戻った穂積さん。
「昔と比べ、人が減って地元の元気がなくなっているように感じます。でも、親しい友人たちも何人かUターンしてきていて、がんばっている姿を見て、自分も福島に貢献できればと、モチベーションが高まりました」
福島に戻ってからも、福島の企業や県内のプロスポーツチームのマーケティングなどの副業を継続していて、培ったスキルを地元でも活かすことで、福島の活性化に還元している。
休みの日には、DIYで自宅のフローリングを貼り替えるなど、木造2階建ての住居を少しずつリノベーションしている。
「都内のマンションでは狭さを感じましたが、今は夫婦それぞれの仕事部屋も確保できています。妻の実家の秋田県にも行きやすくなりましたし、通勤電車に乗らなくてよくなったのもいいと、妻も満足しています。周囲に自然が多いですし、庭があるのもいいなと思いますね」

DIY中の穂積さん

副業を通じて地方と関わりを持つのもおすすめ

穂積さんが、地方やUターンに興味がある人へぜひおすすめしたいのが、副業を通じて地方と関わることだ。
「僕も以前は年末年始に地元に帰るだけだったんですけど、リモートで福島の仕事をしていると、常に地元と繋がっている感じがして、Uターンの後押しになりました。他の自治体も地元の企業を手助けする取組などをしているところは多いので、副業を通じて関心のある自治体と関わりを持つのもいいかもしれません」
いきなり移住してしまうとリスクも大きいので、第一歩としてはおすすめだと話す。
「ここ数年、世の中に貢献したい、地域の力になりたいと、社会との繋がりを求める意識はすごく高まっているように思います。地元の人が自分のスキルをありがたがってくれ、喜んでくれるのは嬉しいですし、それを通じて地域に貢献できることはとてもいいと思いました」

(2022年12月12日取材)

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