好きなクライミングを存分に楽しめる環境に満足
藤平 隆之さん
藤平 隆之さん
神奈川県出身。2016年に神奈川県横浜市から宮崎県延岡市に移住。
- 移住時の年代:40代
- 家族構成:妻
- 移住スタイル:Iターン
- 職業:クライミングジム経営
INDEX
趣味のクライミングができる場所への移住を検討
「車で20分ほど走れば、比叡山というクライマーの間で全国的に人気のボルダリングエリアがあって。そこがもう、岩のボリュームがすごいんですよね。平日、ジムでの仕事を始める午後2時までに、そこにぱっと行って登ってくることができる。それ以外にも手軽に登れる場所がたくさんあります。とにかく好きなクライミングを思う存分楽しめる、そんな今の生活にとても満足しています」
共通の趣味である登山とクライミングで知り合った妻と2人で横浜市から延岡市に移住。クライミングジムを経営し6年近くが経つ。元々、ゼネコンの会社員だったが、移住前は朝から晩までかなりハードな毎日を送っていた。そうした生活に疑問を感じるようになり、移住に惹かれるようになった。
「なにか転機がほしいな」がきっかけ
「今から振り返ると、あまり人間らしい生活ではなかったと思います。朝早くから夜遅くまで仕事をして、なんとかやりくりして週に1、2回ジムに練習に行き、週末に頑張って岩場に行くような生活で、『なにか転機がほしいな』と思っていました。そうした時に通っていたジムの仲間から、九州のクライミングジムが売りに出されるかもという話を聞きました。その時は妻と2人で冗談半分に、『自分たちで買って営業でもしちゃう?』みたいな話をしてたんですが、それがきっかけで、『ちょっと真剣に移住を考えてみようかな』と思うようになったんです」
いっそのことクライミングジムを経営しよう!
それから移住先探しを始めるが、「自分でジムを経営しながら、ふらりと岩場に行って遊びたい」という願いがまずあったので、都市部でのジム開業はまったく頭になかった。週末や連休を利用して通っていた長野県や岐阜県で探してみたが、先行するクライミングジムがあったりして、最終的には、ジムの仲間に教えてもらって数年前から年に一度程度通っていた宮崎県延岡市で開業することにした。
「岩場で知り合った延岡の知人に移住の話をしたら、『じゃあ、延岡でやれば。大きなジムはないし』と言われ、『延岡もいいかもね』といった軽い感じで移住を決めました。ですから、住まいはともかく、実際にジムを開業する物件を決める前に移住したんです。貸し倉庫とか、簡単に見つかると思っていたので。ところが意外と見つからないんですよね。結局、2か月くらいかかってなんとか見つけたのですが、その間、すごく焦りました。『このまま横浜に戻らなくてはいけないのか』と思って」
「これはあえて言うまでもないことですが、これから移住される方には、仕事先とかは前もってきちんと準備しておいてください、とアドバイスしたいですね。見つからないと心細くなりますから」
「儲かってはいないが、とても満足な暮らし」
ジムのオープンは移住から5か月後。「熱情的な」という意味をもつ「インテンス」とネーミングした。現在は、火曜日から日曜日まで、車で15分かけ、郊外に購入した自宅から市街地にあるジムに通勤。藤平さん1人で運営し、妻は地元企業で働く。
「正直、ジムの方はあまり儲かっていません。ただ、横浜にいた頃と比べて、住宅ローンはかなり楽ですし、会社の付き合いで飲みに行ったりすることもありません。なにより、こちらに移住してから、いい服を着たいとか、いい車に乗りたいといった気持ちがまったくなくなったんで、妻と2人の収入でなんら困ることなく暮らしています。もともと妻も自然志向が強くて、僕と同じくらい移住に積極的だったんで、とても満足してくれています」
子どもたちに夢を与える活動を続けていきたい
土日が休みの妻となかなか一緒に岩場に行けなくなったのが悩みの種だが、それぞれがジムの仲間と休日に岩場に出かけたり、妻が平日に休暇をとって2人で近県の岩場に出かけ、帰りに温泉に入ったりと、趣味のクライミングにどっぷり浸かった生活を送る。最後に、これから先の延岡での暮らしについて、こう話してくれた。
「生活自体のことを考えると、今のままのどかに暮らせたらいいかなって思います。あと、ジムを始めた時は考えていなかったんですが、ここ延岡のジムから世界で活躍するような選手を生み出してみたいと思うようになりました。日本のクライミングのレベルは世界的にとても高いんです。子どもたちの育成を目的に、キッズスクールもやっています。岩場の難しい課題を自分で登るだけでなくて、そういった子どもたちに夢を与えることができるような活動を続けていきたいですね」
(2021年11月10日取材)
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