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つながる人の輪、地域の魅力を発信

石田 有希子さん

PROFILE
石田 有希子さんの写真

石田 有希子さん

東京都練馬区出身。2019年4月に千葉県八千代市から青森県弘前市に移住。

  • 移住時の年代:30代
  • 家族構成:夫、子ども2人
  • 移住スタイル:Iターン
  • 職業:団体職員(JA職員)

夫の夢を応援したい 首都圏からの移住を検討

石田さんは、2010年に結婚し、千葉県で夫婦共働きの生活を送っていた。夫の実家がある青森県弘前市には、子どもが生まれてからも、長期休暇を利用して年3回ほど帰省していた。「季節ごとに全然違って見える景色がとても美しくて、遊びに行くたびに自然を存分に満喫していました。私も夫も首都圏で仕事をしていたので、移住はまったく考えておらず、青森は単に帰省する場所というふうに捉えていました」
夫は、大学時代を金沢で過ごし、近所に行きつけの家具屋兼カフェがあったそうだ。そこでヴィンテージ家具の魅力に目覚め、「いつか家具屋をやりたい」という夢を持ちつつも、大学卒業後は非鉄金属メーカーに就職し、千葉の工場に籍を置きながら年の半分は海外で単身勤務していた。「あまりのハードワークに、鬱状態になりながらも勤務を続ける夫の体と心が心配でした。がんばって働いてくれた分、40歳を機に夢を叶える道を歩んでもいいのかなと思ったんです。当時から、彼が趣味でつくる家具はとてもセンスが良くて落ち着く感じがしたので、家具屋として起業するという彼の夢を応援することにしました」

岩木山

何気ない一言がタイミングを一気に引き寄せた

まずは家具屋として起業するための土地探しを始めた。もともと夫が岐阜という土地と人が好きだったことから、岐阜県を第一候補としていたが、2人の子どもがまだ手のかかる年齢だったため、どちらかの実家が近いほうが良いだろうとの結論に至り、弘前市への移住を徐々に考え始めたという。
そんな中、2018年末に弘前市へ帰省している時に聞いたのが、締切が2日後に迫った地域おこし協力隊の募集。これがきっかけで、一気に移住が具体的になったそうだ。「当時私は専業主婦でしたが、夫が個人事業主になるのであれば、私は働きに出ようと考えていました。募集の内容を調べて移住先での自分の仕事を具体的にイメージできたことが、移住への意欲が一気に高まるきっかけになりました。青森らしい農村部に住めば、子育てものびのびとできるなとも思いました」
思い切って地域おこし協力隊に応募。1月に選考があり2月に合格発表を受け、子どもの入学や入園、引越しの手続きをばたばたと進め、2019年4月、弘前市相馬地区への移住が実現した。「長女が小学校に入るタイミングだったので、自分の準備よりも学校関係の準備に追われていて、それが大変でしたね」

子どもたち

地域おこしのアイデア満載 現在の仕事につながる

着任後、石田さんが取り組んだのは、地域のママたちのコミュニティ支援。地域のママたちの意見を吸い上げて地域おこしに役立てるなど、男性主導だった村づくりに、女性目線を取り入れていった。「相馬で就業しているベトナム人の技能実習生たちが、地域と関わりを持てていないという話を聞きました。そこで、地域のママさんたちにベトナム料理を教えてもらう料理教室を企画したところ、とても好評でした」
また、弘前市街に住む女性と農家の若手男性をつなぐ婚活交流イベントを開催した際には、「農家の人たちが黙々と剪定作業をする姿って、かっこいいんです。その姿を地域外の人にも見てほしいと思ったのがきっかけで、婚活交流イベントを思いつきました。まわりの農家の方々にアイデアをいただいて、スノーモービルに男女が一緒に乗るなど、イベントは盛況でした」
当時はコロナ禍で、特に屋内での活動にはさまざまな制限があったため、自然とリンゴ畑に足が向かうことが多く、「以前は農業に興味を持っていなかったのですが、農家さんのがんばりや手間暇を肌で感じ、リンゴへのプライドと愛情の深さを目の当たりにしました。それがきっかけで、農家さんを応援するようなことに携わり続けられればという気持ちが芽生え、地域おこし協力隊の任期を終えた後はJAで働きたいと求人に応募しました」

婚活交流イベント

移住後の暮らしは想定外のことも…

実際に住んでみると、移住後の暮らしは良いことばかりではないと語る石田さん。「首都圏に住んでいた時は、雪って単純に楽しむものっていうイメージだったんです。実際に雪国に住んでみると、雪かきをしないと1日が始まらない現実があって、信じられないというか、不安に思うこともありました。しかし、近所の方が助けてくれて、人のあたたかさも感じます。」
また、相馬地区から弘前市中心部へのアクセス方法はバスに限られており、片道20〜30分ほどかかるという。「子どもたちが習い事をするにも1人で自転車で行ける距離ではないので、共働き家庭にはなかなか不便ですね。また、頻繁に熊が出る年は、屋内で遊ばざるをえないこともあります。自然の中でのびのび遊ばせることができると思っていたので、これは想定外でした。ただ、スキー場が近いので、冬はそこが子どもたちの社交場のようになっているのはこの地域ならではの魅力ですね」
石田さんにこれからの目標を聞くと、「農業についてはまだまだ知識不足で力になれていないと感じる場面が多いのですが、県内外から農作業体験に来てくれた人への対応など、私のできることをしっかりていねいにすることを心掛けています。それが農業やリンゴを好きになってくれることにつながって、相馬を好きだと思う人が増えてくれたら嬉しい。」と答えてくれた。
「東京は、何もかもが便利で生活のしやすさがある一方、通勤時の満員電車の窮屈さや常に何か急かされているような空気感がありました。相馬に移ってからも仕事は忙しいですが、農家さんの優しさに触れたり、自然と目に入ってくる岩木山の雄大な風景がすごく美しくて、なんだか肩の力が抜ける感じがあるんです。津軽弁の優しい雰囲気も大好きです」
あたたかい人と自然に囲まれながら、今日も石田さんは町と農業のために奮闘している。

絵入りリンゴ

(2024年3月14日取材)

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