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LIFE STYLE移住者の暮らし

実家の近くで叶えた、自身の夢と家族との距離

山本 雅孝さん

PROFILE
山本 雅孝さんの写真

山本 雅孝さん

長崎県南島原市出身。東京都小平市から2021年3月、長崎県大村市に移住。

  • 移住時の年代:30代
  • 家族構成:妻、子ども2人
  • 移住スタイル:Jターン
  • 職業:美容師(美容院経営)

交通の便を重視して空港近くの地へ

東京・新宿の美容院で働いていた山本さん。独立することを決め、2021年、同じく美容師の妻・春菜さんと子ども2人と一緒に長崎県大村市へ移住し、美容院を開業した。自宅兼店舗は、県の中央部にある大村湾に浮かぶ海上空港・長崎空港から車で約15分のところにある。実家のある長崎県南島原市ではなく大村市に居を構えたのは、春菜さんの実家がある東京までの所要時間や、人口の多い長崎市への交通の便などを考えてのことだ。自身も美容関係のセミナーに参加するため、年に3~4回は空港を利用して上京しており、東京のお客さんが飛行機で来てくれることもあるそうだ。
南島原市の実家までは車で2時間ほど。母親が車を運転して来られる距離なので、心理的にも格段に実家と近くなった。東京で働き続けるか、長崎に帰るかを考えた時、帰って開業することを選んだのは、「長男として、一人暮らしの母親のそばにいるのが役目かな」と思ったことが理由の1つだった。

海辺

周到に準備して独立開業へ 万が一への備えも

東京では固定客が200~300人いた。だが、長崎に帰れば、すべてが一からのスタートになる。地元の美容院で働くことも考えたそうだが、「生活水準を下げたくなかった。子どもたちに、東京の生活のほうが良かったと思われたくない。それなら実績を上げるしかない。それには独立が一番いいと思いました」。
東京の店では店長を任され、集客を意識することを徹底的に叩き込まれていた。移住先を大村市に決めた直後から、そのノウハウや人脈を生かし、美容情報誌の担当者や市役所へのヒアリングを始めた。現地の客の年代層や流行、どんなことに興味を持っているかなど情報を収集し、ターゲットを具体的にイメージした。「それでも、本当に不安で、経営に失敗した場合の対策も考えていました」
子どもの小学校入学のタイミングで移住しようと決めていたため、タイムリミットがある中、移住支援金の手続きなどの準備に走り回った。加えて、スクールに通い、介護の入門資格とされる介護職員初任者研修を取得したという。これは、美容師として立ち行かなくなった時、転職の選択肢の1つとして介護職に就けるようにと備えてのことであり、将来母親の介護が必要になったとしても、知識があれば役立つだろうとの考えもあった。
そして、店舗オープン前から新聞に折り込み広告を入れたり、チラシを配ったりして、積極的にPRしたこともあって、予想を超える多くの客が来店。今では1か月先まで予約が埋まるほど地元に浸透した。
山本さんは、移住を考えている人は明確なビジョンを持っておくべきだという。移住して何をしたいのか、移住先に何を求めるのか、移住してどうなりたいのか。「目標、目的がないと、結局ブレてしまいます。それに対してどう動いていくか。計画性が大事だと僕は思います」失敗のリスクも考えながら準備を進めてきた山本さんらしいアドバイスだ。

店内写真

家族と楽しむ時間が格段に増えた

移住して一番良かったことは、家族との時間が取れるようになったことだという。小学校3年と2年の娘が学校から帰ってくるのを迎えられるし、休みの日は公園に行ったり、釣りに行ったりして家族で過ごせる。そのために、日曜、祝日を店舗の定休日にした。「東京にいた頃は、美容院が日曜日を定休日にするなんてタブーだろうと思い込んでいました。ただ、せっかく自由な時間が取れるようになったのに、自分でそれを縛っては移住した意味がないと思ったんです」
仕事の都合があり、山本さんを残して、先に家族だけが大村市に引っ越すことになり、引越し直後は、春菜さんも子どもたちも新しい土地になじめるか不安な様子だったそう。山本さんがそれを強く感じたのは、1か月遅れで合流した時、犬が家族に加わっていたからだ。「現地のことはわからないし、僕もいなかったし、帰りたいとも言っていましたからね。寂しさを解消するために、3人で相談して、じゃあ犬を飼おうということになったみたいです」
「今は、旅行から自宅に戻ってきた時、家族みんなが『ああ、帰って来た』という反応をしているので、長崎に慣れてきているのかなと思います」当初は、近所のおじいさんやおばあさんが話す長崎弁が理解できず、仕事をやっていけるか心配していた春菜さんも、ていねいな対応で固定客を増やしている。山本さんは、今でも家族の理解や協力は極めて大切だと思っているそうだ。

子どもたちと遊ぶ写真

歴史や文化を次世代につなぎ故郷に貢献を

子どもたちは、学校で長崎のことを学んでいる。「長崎には原爆など、他の地域とは異なる歴史があります。夏休みに一斉登校して平和集会に参加するのは、地元で育った僕らには当たり前のことだけど、妻は初めて知ったと言っていました。家族が自分のふるさとの歴史や文化に触れてくれるのは、移住して良かったと感じることの1つです。地方にはそれぞれの歴史があり、いいところがあります。それを肌で感じて学ぶのは、すごくいいことだし、それを大事にして次の世代に伝えていくのは大切なことだと思います」

山本さんは、東京に人が集まり過ぎると、地域の担い手が減り、地方の良さが失われてしまうのではないかと心配する。自身は、お客様に感謝されるような店づくりを続けることが一番の地域貢献だと考えていて、いずれ子どもたちが巣立ったら、地元・ふるさとの未来のために後進を育てるなど、さらにビジョンを広げていこうと思っているそうだ。「自分が学びたい土地があれば、Iターンでもいい。そこで暮らしながら、地域を活性化させるお手伝いができれば、すごくいいことなのではないでしょうか」

(2024年2月7日取材)

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