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LIFE STYLE移住者の暮らし

東京では無名の1人だけど、地方では名前と顔のある人に

中畑 裕美さん

PROFILE

中畑 裕美さん

愛知県豊田市出身。2021年7月に東京都から岐阜県恵那市に移住。

  • 移住時の年代:40代
  • 家族構成:夫、息子
  • 移住スタイル:Jターン
  • 職業:フリーライター

とても呼吸がしやすくなりました

「東京では息苦しい思いをしていましたが、今では窓を開けると笠置山が見えますし、近所には棚田百選にも選ばれている棚田もあります。そして、夜になると星空がとてもきれいです。移住したといっても私たちは特別なことは何もしていないんですが、こんなふうにただ目に映る光景だけでもほっとしたり、呼吸がしやすくなったという感覚があります」
2021年7月に東京・高島平の団地から、岐阜県南部の恵那市中野方地域に移住した。中野方地域は、地元の人が「おかさげやま」と呼ぶ笠置山の山麓に位置する。山間地域でありながら、市街地まで車で片道30分ほど。愛知県豊田市にある実家にも車で1時間半ほどの距離だという。

「2005年に就職して上京してから、ずっと東京で暮らしていました。2015年に当時の職場で知り合った夫と結婚した後も、このまま東京で暮らしていくんだろうな、と思っていました。でも2016年に息子が生まれてから、この子をずっと東京で育てていくのだろうか、と考えると、何だか腑に落ちないものがありました」と語る。「私は田舎育ちで、自分に“ふるさと”があることが幸せだと感じていました。それに、人混みが苦手で、通勤電車が嫌だったことが会社勤めを辞めてフリーライターになったきっかけの一つになっています。東京で子どもを連れていると、電車に乗るのも街を歩くのも、人の目を気にしないといけないのは大変です」
漠然と地方暮らしを考え始めたが、当初は夫が職場に通える範囲で落ち着けるところ、つまり首都圏郊外の地方都市をイメージしていたという。「やはり夫が東京での仕事を続けるということが前提でした」

コロナ禍を機に夫が退職

それが一変したのが、新型コロナウイルスの感染拡大だった。業績が悪化したことなどから、夫が会社を辞めることになった。「これで生活は一度リセットされました。会社に縛られることなく住む場所を決められる。生活を変えるきっかけになりました」
まず、東京・有楽町にある「ふるさと回帰支援センター」を訪れ、資料を集めた。初めは、夫の両親の実家がある北海道や、何となく気候が良くていいなと思っていた瀬戸内地域などを思い浮かべていたという。「実は、ふるさと回帰支援センターを訪れたときは、岐阜県は選択肢に入っていませんでした。まだ移住をぼんやり考えていただけで、具体的に相談する段階まで進んでいなかったんです。そんな私たちに、岐阜県の窓口の方が声をかけてくれました。それも岐阜県を紹介するのではなく、移住するということはどういうことか、初心者の私たちに懇切丁寧に教えてくれたんです」
実家の近くに住むことは考えていなかったが、弟が遠く札幌で家庭を持っていることもあり、将来を考えると私が親の近くに住んだ方が良いのかなと思うようになり、長野県南部や岐阜県で、子どもが高校に進学する際、家から通える高校が複数あるところを移住の候補地にすることになった。

そんな折、恵那市の木曽川の北側地域を取りあげた移住セミナーが開催されることを知って、オンラインで参加した。参加者に届いた地域の特産品にはパンフレットが同封されていて、恵那市中野方地域から名古屋市へ通勤している人がいることなどを知った。「中野方は山の中というイメージだったのですが、市街地まで30分くらいで行けることがわかって、こういうところなら移住してもいいかな、と思いました」

縁に導かれ、検討開始から半年で移住

2021年3月に恵那市と中津川市を訪れ、それぞれの自治体の移住担当者に案内してもらった。移住先を決めるために現地を訪れたのはその1回だけ。2021年1月に夫が退職して、具体的に移住を検討し始めてからとんとん拍子で話が進み、7月には実際に移住するというスピード決断だった。
「移住するということは大きな決断なので、本当はもっとじっくりと検討した方が良いんだろうとは思います。でも、私たちの場合、恵那市中野方地域と偶然のように出会い、とても良い場所だと感じました。夫とも、縁があってつながったのだから、ここが良いのではないかと話し合って移住を決めました」
市の移住サポート担当者が、各方面と連携をとって、親身になって世話をしてくれたのも大きなポイントだった。夫の就職先についても移住サポート担当者が協力してくれた。応募した会社は岐阜県の移住支援の対象外だったが、会社と移住サポート担当者が話し合い、支援金の対象にしてくれた。住まいは、定住促進住宅に決まった。教員用住宅だった建物を移住者用にリフォームしたものだ。「リフォームも地元の工務店などが丁寧にやってくれて、地域の人たちみんなが温かく迎えてくれるのを感じました」移住者の親睦会など、気軽に地域にとけこめるような取り組みもあり、「移住者に優しい地域」だと実感しているという。

2021年7月に移住してからは、地域の人の温かさを日々感じるという。ちょっと歩いているだけで野菜をもらったり、小中学校の子どもたちが出会う人みんなにあいさつしていたり。地域の人たちが当たり前のように結びつきあっている。「東京での私は、たくさん人がいる中の無名の1人でしたが、ここでは名前と顔がある人になりました。街の方の多くが「東京から来た中畑さん」「住まいる(定住促進住宅の愛称)の人」と、私たちのことを知っているという状況にはまだ慣れない面もありますが、とても温かい世界です。夫の職場も、昼に豚汁を作ってふるまってくれるなど、とてもアットホームで、ずっと首都圏暮らしだった夫も、毎日、新鮮に感じているようです」

(2022年1月20日取材)

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