循環型の暮らし充実 「種をまいて待つ」生き方を知った
鈴木 さやかさん
鈴木 さやかさん
神奈川県横浜市出身。2020年から愛知県田原市と二拠点生活をし、2023年9月に正式に移住
- 移住時の年代:27代
- 家族構成:独身
- 移住スタイル:Iターン
- 職業:フリーランス
INDEX
決め手は「田んぼの見える通勤風景」
愛知県田原市で、鈴木さんが一番好きな景色は日々の通勤風景だ。車で運転している時に見える田んぼが、時折息を呑むほど美しい。夏の水田は青々とした稲穂が風に揺れ、海のように見えるそうだ。「中学生の頃から、神奈川県横浜市から都内に通っていたので、毎日満員電車に乗っていました。10年以上それが日常でしたが、かたや美しい田んぼの中を自分で運転する日常も、世界にはある。この景色が、移住の大きな決め手になりました」
田原市との出会いは、大学生だった20歳の頃。有機農業を営む農家「渥美どろんこ村」に滞在したのがきっかけだ。「渥美どろんこ村」は宿泊場所と食事を提供する代わりに、農業の手伝いをしてくれる滞在者を受け入れていた。「調べていてたまたま知った場所でしたが、人生が変わる出会いでした。期間は1週間ほどでしたが、農業のイメージが大きく変わりました。『渥美どろんこ村』は夫婦が運営しているのですが、作物を作って食べるだけでなく、学びの題材にしています。野菜と米を作り、地域の商店からでる残渣を餌にして豚も育てていました。環境問題を学んでいたので、循環型の社会を実践する暮らしにも興味を持ちました。そうして『冬休みも来ていいですか』などと長期休暇に足を運ぶようになりました」。この縁が続き、2020年からは田原市と地元の横浜市の二拠点生活をするようになり、2023年9月に正式に移住した。
シェアハウス運営と学業で二拠点生活
田原市に滞在する時には、農作業の手伝いをする代わりに「渥美どろんこ村」が食事と宿泊場所の提供をしていた。通っているうちに、空き家を使って新たにシェアハウスを作る話が持ち上がった。「自分もホスト側になってみたいと感じるようになったんです。ご夫婦にその話をしたら『ここには古民家もあるし、ここでやってみたら』と言ってくださいました。そこでシェアハウスの運営をするため、横浜市との二拠点生活が始まりました」
シェアハウスのコンセプトにもこだわった。「住居だけでなく、畑と田んぼ、鶏もシェアします。居住者はそれぞれの仕事をしながら、稲刈りや畑仕事もして、可能な範囲で自分が食べるものを自分たちの手で作る体験ができるようにしました。半年かけて古民家を手直しし、2020年の終わり頃に第一号の居住者が東京から来ました」
シェアハウスを運営しながら、大学院にも進学。学問もしながら、フリーランスとしてライターやSNS運用などの仕事もするようになった。3年間はその生活が続いたが、田原市での交友関係も広がる中で迷い始めていたことがあった。田原市と東京を行き来しながら、学生とフリーランスの二足のわらじで生活をしていたが、「リモートで東京の仕事をしていると、どんなに長く滞在していても『よその人』という感じが抜けないと思ったんです。私が勝手にそう思っているだけかもしれませんが、このままでは『家からパソコンの仕事はしているけど何をしてるんだろう』と得体がしれない感じに思われているのではないかと。どんなに地域への思いが強くても、内側には踏み込めていないような、もどかしさがありました。既に仲良くしてくれていた地元の人に100%信頼してもらうためには、地域の中で働いてお金を得ることで関係性が変わるのではないか、と思いました」
理想としていた「循環型の社会」を暮らしで実践
迷っていた頃に、転機が訪れた。「廃業したショッピングモールを再生し、地域の未来のための複合施設にする事業が始まると聞きました。運営するまちづくりの会社から『ゲストハウスの事業をやってみないか』と声がかかったんです。その会社の社長さんとは以前から知り合いで、『いつかここでゲストハウスをしたいんだよね』と話していたので、私もぜひ『この地域をより多くの人に知ってほしい』と意気投合しました」。だが、大学院を修了するまではまだ1年半かかる。「この期間に大学院に行くと、ゼロから立ち上げに関わるタイミングを失ってしまう。すごくいい波が来ている、絶対に自分がやりたいと強く思いました。大学院は辞めて、住民票を移し、まちづくりの会社で業務委託として働き始め、田原市での第二章が始まりました」
家族をはじめ、周囲からも心配する声はあったが「大学院は今でなくても通える。20代の時間を全部使って、この地域に関わりたい」と思いを伝えた。環境問題を学んできたことも、田原市で本格的に暮らしたいという気持ちを後押しした。「自分の暮らしを、もっと環境にやさしい暮らしにしたかったんです。田原市の私の暮らしは、食べているものの9割以上が自分たちで作ったもので、残り1割も顔の見える生産者が作ったもの、エネルギーも太陽光などです。都会では難しくても、ここでは環境にやさしい暮らしを無理なく実践できます」
移住がうまくいくカギは「お試し」
移住がうまくいくカギは「お試し」だと鈴木さんは考えている。田舎暮らしや自給自足に憧れがあっても、現実とのギャップはつきものだからだ。経験してみないと、自分は何が苦手で何が平気かもわからない。「虫が苦手とか、寒い場所は合わないとか。人それぞれ、譲れない条件があると思います。私の場合は寒いのが苦手なので、温暖な場所を選ぶようにしました。一度移住してみて、うまくいかなかった時はショックが大きいはず。行った先が合わなかっただけで、他の場所ならうまくいっていた可能性もあります。何か所かお試しで住んでから、移住先を決めたらいいのでは」
「新しい生き方の出会い」を作れるゲストハウスに
田原市で学んだことの一つは「種をまいて待つこと」だ。「課題も勉強も、自分がエンジンをフル稼働させれば、成果が出る。でも、作物の種は水やりの頻度を倍にしても、何度見に行っても、芽が出る時期は変わらない。初めはそれがもどかしかったんですが、『自分にプレッシャーをかける』ことで成果を出す、という価値観でずっと生きてきたと気づきました。種をまいたら、待つという考え方ができるようになったのも大きな収穫です」
鈴木さんは都会生活を離れて「いろんな生き方、働き方があると気づきました」と語る。都会では「こうあるべき」という姿が大音量で流れていると感じることもある。「誰にとってもベストなものではないはず。ゲストハウスが、新しい生き方の出会いになればいいなと思っています」
20歳で来て以来、7年間通った末に移住した田原市。まちづくりに本格的に関わる、という鈴木さんと田原市の「第二章」は始まったばかりだ。
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